3社で異なる仕事を経験し、経営者になる夢を叶えるため独立
新卒で株式会社ネオキャリアに入社し、その後株式会社SHIFTへ転職。そして株式会社REAPRA Japanへ転職したのち、起業準備のため独立。学生時代から目指していた経営者という働き方を実現するため行動を続ける渡辺さんに、お話を伺いました。
「ヒトはキッカケがあれば必ず変われる」生き方・働き方を応援するキッカケインタビュー。
第25回目の今回は、3社を経験したのち独立し、起業の準備を進めている渡辺康彦さんにお話を伺いました。
株式会社ネオキャリア、株式会社SHIFT、株式会社REAPRA Japanの3社に勤め、それぞれで経験を積んできた渡辺さん。社会人人生を歩み始める前から目指していた経営者になるため、現在は個人事業主として準備を進めています。さまざまな仕事を通して成長してきた渡辺さんが経営者を目指した「キッカケ」や、これからつくる会社のキーワードについて語っていただきました。
野球を頑張った経験から、たくさん働いて成長するためベンチャー企業へ
千葉祐大(以下 千葉)
渡辺さん、本日はよろしくお願いいたします。渡辺さんは社会人としてさまざまな経験を積んでこられたと思いますが、その前に幼少期や学生時代のお話を聞かせていただけますか?
渡辺康彦さん(以下 渡辺さん)
よろしくお願いいたします。私は茨城県石岡市という10万人弱の小さな田舎町で育ったんですが、小学校に入学する頃から狭い田舎を出たいという気持ちを持っていました。テレビで毎日プロ野球を見ていたこともあり、将来はプロ野球選手になろうと思って野球の練習をひたすら頑張っていましたね。
高校は県内の強豪校に進学し、2年生の春に甲子園に出場しましたが僕はスタンドで応援をしていました。3年生でレギュラーになりましたが、最後の夏は県大会で敗退し甲子園にでプレーすることは出来ませんでした。その後はしっかりとお金を稼いで家族を養いたいと考え、東京の大学に進学したんです。大学2年生の頃に起業家や経営者の方のお話を聞く機会があり、そこからは将来経営者になろうという目標を立て、ベンチャー企業のインターンシップやセミナーに参加していました。大学生の自分を一言で表すと、「The 意識高い系」でした。
千葉
ありがとうございます。幼少期の頃のエピソードも言語化できているのが素晴らしいですね。将来経営者になるという目標を掲げた渡辺さんが、初めての就職先に株式会社ネオキャリアを選んだきっかけは何だったのでしょうか。
渡辺さん
就職先を決めるポイントとしては際限なく働きたいと考えており、実現できそうな会社として選びました。当時は意識だけ高い学生だったので、大手企業ではなくベンチャーだと考えていたんです。個人的にはインターネットやWebアプリ系の会社に行きたかったんですが、意識は高くても中身のない学生だったので、なかなか納得のいく就活が出来ませんでした。
そんななか、人材系の会社の選考はうまく進んでいて、大手もベンチャーも内定をいただいたんです。僕は野球もとにかく人より練習してきたので、人よりもめちゃくちゃ働けば成長できるんじゃないかという考えがありました。そこで、上場企業に行って残業の規制をされるより、際限なく働けるであろうベンチャー企業に行こうと思い、ネオキャリアを選びました。今は労働環境も変化していると思いますが、当時はたくさん働きたい想いが強かったのでベストな選択だったと感じています。
千葉
ネオキャリア入社後は、どのようなお仕事をされていたのでしょうか。
渡辺さん
学生時代に内定者インターンをしていたことと、新卒者研修の成績で運良く1位を取れたことが影響し、入社後すぐに新規事業部へ配属されました。新規事業である保育士の人材紹介事業を担当し、最初は事業部長と私の2名体制でスタートしたんです。急成長した事業だったので、2年間で100名ほどいる事業部になり、その成長過程で貴重な経験をさせてもらいました。
千葉
将来経営者になりたいと考えていた渡辺さんにとって、急成長する事業に立ち上げから携われたのはとてもいい経験だったでしょうね。
社長室で楽しみながら働き、グループマネージャーも任される
千葉
ネオキャリアに2年半勤務したあとは転職されたそうですが、転職活動の軸などはありましたか?
渡辺さん
実は、このときはあまり転職活動の軸を考えられていなかったんです。引き止めもあって辞めるのが大変だったので、転職先が決まらない状態で1社目を退職しました。そのタイミングでエージェントを利用し、株式会社SHIFTに出会ったんです。当時のSHIFTは上場したばかりで今ほど規模が大きくなく、ソフトウェアテストをしている会社というのも自分ではよくわかりませんでした。
そのような状態で選考に行ったら、最初から社長が出てきてくれたんです。1時間ほど話したところ、おもしろいと思ってもらえたようでその場で内定をいただけたので、SHIFTへ入社することにしました。
SHIFTも今年に入ってからグループ全従業員数が1万人に到達したというニュースリリースを出されていますが、当時は正社員が200名ほど、アルバイト等の社員を含めても800名程度だったと思います。
千葉
ミドルベンチャーくらいの規模だった会社が、結果的に1万人規模になっている。そのなかで経験を積めたのは渡辺さんにとって大きな財産だったと思いますが、初めての転職を経験していかがでしたか?
渡辺さん
転職してからは、めちゃくちゃ楽しかったですね。1社目ではしっかりとしたルールがあってがむしゃらに働いていましたが、もっと自分で考えながら仕事を進めてみたいと思っていました。SHIFTでは社長室に配属され、決まった枠がないなかで働くことになったので、それがすごく楽しかったです。社長の厳しい要求にも楽しみながら対応していたので、マリオがスターを取ったときのような状態で働いていました。
千葉
初めての転職でそのように楽しめたのは、素敵なことですね。SHIFTの社長室に配属されて、どのような仕事を担当されたのでしょうか?
渡辺さん
社長室では、主に事業開発を担当していました。1番メインとしていたのは、高生産性かつ高利益率のテストセンターを作る事業でしたね。テストの生産性を上げてお客様に高品質なテストをデリバリーする一方で、働くメンバーにも給与を還元する。そのような仕組みを作るため、テストセンターの立ち上げから関わりました。
はじめは社員とアルバイト数名のチームから始まり、ある程度規模が大きいチームになってからはグループマネージャーも任せていただきました。
事業側の経験を活かし、未経験からひとり人事を担当
千葉
渡辺さんはSHIFTで3年間働かれたそうですが、その後再び転職しようと考えたきっかけを教えてください。
渡辺さん
3社目には、転職活動をせずに転職しました。当時は転職したいとそこまで強く考えていたわけではなかったんですが、転職することになった会社に昔からの友人がいて、声をかけていただいたんです。何度かカジュアルに面談をするなかで、非常におもしろいチャレンジができそうだと感じたので、転職を決意しました。
おそらくSHIFTに残ったままでも、会社が急成長する過程でさらなるチャレンジができた可能性もあります。ただ、全く違う業界にチャレンジできる機会で、今後のキャリアを考えるうえでプラスになるんじゃないかと心が動いたので、転職を決めました。
千葉
学生時代から経営者になりたいという目標を持っていた渡辺さんですが、この頃も自分で会社を経営したい気持ちは変わっていなかったのでしょうか?
渡辺さん
そうですね。そこはブレませんでした。ベンチャー企業での経営に関心を持っていたので、3社目への転職に気持ちが動いたのかもしれません。
当時のSHIFTは非常に成長しており、私が辞めるタイミングでは従業員数が3,000名ほどになっていました。創業してベンチャー期があり、そこから大企業になっていく過程を経験できたと思います。
千葉
ご自身で決めて大きく異なる環境に行くのは、とてもポジティブですよね。3社目に選ばれたのは株式会社REAPRA Japanですが、どのような役割でどんな仕事をされていたのでしょうか。
渡辺さん
友人からは、社内の人事ポジションが空いているということで声をかけてもらいました。人事の経験はありませんでしたが、ネオキャリアでの営業とSHIFTでの事業開発経験があるため、事業側のこともわかる人事として働くことになったんです。
当時のREAPRAは日本が10名強、シンガポールやアジアを含めても40名ほどの規模だったので、ひとり人事として採用だけでなく労務や制度設計なども一通り経験させていただきましたね。
千葉
改めて聞くと、すごく特殊なキャリアですよね。未経験から人事に携わることになり、いかがでしたか?
渡辺さん
社長室で働いた前職の経験があったので、形がないところから何とか形にするスキルは自分の強みとして活きました。前例がないなかで人事制度を整える必要がありましたが、何とか進められましたね。
一方で、人事経験がなかったからこそ大変な部分もやはりありましたね。手探りで進めなくてはならず、当初はアドバイスを求められる人も多くはいなかったので、成果を出すまでには時間がかかったと思います。
ライフステージの変化やミッションの言語化に伴い、時期を早めて独立
千葉
3社のなかでは、REAPRA Japanに最も長く在籍されていたのですね。
渡辺さん
そうですね。在籍期間中は会社のカルチャーが強く色濃くなっていくフェーズだったので、カルチャーが作られていく過程を経験できたのはとても良かったです。そのなかで自分自身を見つめる必要があり、これまでの自分自身について言語化する力が身についたと思います。
千葉
そんななか、2023年4月にREAPRA Japanを退職し独立されていますが、そのきっかけを教えてください。
渡辺さん
退職する半年以上前から、会社と独立に向けた対話をしていたんです。当初の予定では起業はもう少し先だと考えていました。しかし、結婚してライフステージが変化したり、僕自身のミッションが少しずつ言語化されてきたりしたので、独立を早めてもいいんじゃないかという気持ちが湧いてきたんです。そこで、最終的に2023年4月に独立しました。
千葉
なるほど。ライフステージが変わることで、働き方や価値観も変化したのでしょうか?
渡辺さん
子どもがいると際限なく働くのは難しく、時間に制約があるなかでしっかりと成果を残さなければならないので、働き方はやはり変わりましたね。価値観も、僕が親として子どもにしてあげられるのは愛情で満たしてあげることしかないという考えが生まれました。しっかり働く一方で子どもや家族に愛情を満たしてあげることで、家族の未来が作られていくんだという考えになりました。
千葉
家族ができることで新たな使命感ができるのは、僕もとても共感します。
自身の経験や想いを反映した3つのキーワードに紐づく事業を展開予定
千葉
現在は個人事業主として、将来的な起業に向けて準備をしていらっしゃると思います。現在行っている仕事に関するお話や、読者の方へのメッセージがありましたらお願いします。
渡辺さん
現在は個人事業主として、1人で人事や事業側のお仕事に携わっています。法人化するタイミングでは何かしら事業を定めたいと思っているので、今はアイデアの模索期間と位置付けています。
会社のミッションとなるキーワードは、すでに3つ決まっています。1つ目が選択肢を広げること、2つ目が自己決定、そのうえで3つ目が繋がりです。この3つが今後私がやっていく会社のコアとなるキーワードなので、これに紐づく事業をいくつかやっていきたいと考えています。
今後いずれかのタイミングで起業したいと考えているので、関心がある方とお話しできると嬉しいです。起業後は事業が伸びる過程で組織やチームをしっかりと作っていくため、いろいろな形で関わりが増えるといいなと思います。
千葉
ありがとうございます。ミッションのキーワードを3つに決定したのは、どのような背景があるのでしょうか?
渡辺さん
私自身が家庭的な問題であまり選択肢がない環境で幼少期を過ごしました。そのなかで東京に憧れ、プロ野球選手になれば東京に行けると考えて行動していたので、自分自身の選択肢も広げつついろいろな人の選択肢を広げたいという想いがあります。
子どもも満たしてあげるといろいろなことに興味関心を持つので、選択肢を広げることは本当に大切だと思います。そして、選択肢と自己決定はセットだと考えているので、2つ目のキーワードが自己決定なんです。選択肢があっても自分で選択できないのであれば、意味がないと思います。選択肢があるなかで自己決定できる人を増やしていきたいと、私は考えています。
また、それに関連づけた繋がりやコミュニティができていくとより良い世の中になると考えているので、3つ目のキーワードを繋がりとしています。
千葉
ありがとうございます。今後渡辺さんがどのような事業を展開していくか、僕も楽しみです。
渡辺さんが3社で大きく異なる仕事を経験し、現在独立して活動されている姿は、これから挑戦したいと考えている方の励みになると感じました。渡辺さん、参考になるお話をありがとうございました。
2014年に新卒で株式会社ネオキャリアに入社し、新規事業である保育士紹介事業の立ち上げに携わる。その後株式会社SHIFTへ転職し、社長室に配属され事業開発担当として創業社長のもとでテストセンターを新たに立ち上げ、グループマネージャーに就任。2019年に株式会社REAPRA Japanへ転職し、ひとり人事として中途採用や労務総務の仕組みづくりに取り組む。2023年に独立し起業の準備をしながら、プライベートでは1児の父として子育てにも奮闘中。