苦手な「決断」から学んだキャリアの言語化
新卒でソフトバンク株式会社に入社し、法人営業や新規開拓を担当したあとDiDiモビリティジャパン株式会社に出向。タクシー配車アプリ事業の立ち上げを経験してから、創業まもないスタートアップへ転職。その後株式会社リチカへ転職し、引き続きスタートアップで挑戦している伊藤さんにお話を伺いました。
「ヒトはキッカケがあれば必ず変われる」生き方・働き方を応援するキッカケインタビュー。
第9回目となる今回は、株式会社リチカの伊藤 優さんにお話を伺いました。
新卒で大企業に入社してから、海外ビジネスのローカライズを経験し、その後スタートアップ2社で経験を積んでいる伊藤さん。キャリアを積み重ねるなかで「伊藤スイッチ」を発動し、大きな決断をする機会が何度もありました。キャリアを振り返ることで見えてきた伊藤さんの特性や、参考にしたい考え方をお伝えします。
新卒でソフトバンクに入社、法人営業の畑で仕事の面白さに気づく
千葉祐大(以下 千葉)
伊藤さん、本日はよろしくお願いします。伊藤さんは新卒でソフトバンク株式会社に入社されたとのことですが、なぜソフトバンクを選んだのかお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?
伊藤優さん(以下 伊藤さん)
よろしくお願いいたします。大学時代は今ほどやりたいことがなく、文系の自分が社会人としてキャリアを積むためにはどうしたらいいんだろうと考えていました。そこですごく安直ですが営業しかないと思い、営業を希望していくつかの会社にご縁をいただいたんです。そのなかで通信やITといった今後伸びそうな市場で戦ったほうが良さそうだと感じ、ソフトバンクを選びました。孫さんの話が好きだったのも、ソフトバンクに入社を決めた理由ですね。
僕が入社した2013年はソフトバンクがプラチナバンドを獲得した直後だったので、営業人材が大量に採用されていました。同期が約1,000名いるなかで、僕は偶然にも法人営業に配属頂き、最初は中小企業をターゲットとする部署で飛び込み営業やテレアポなどをしていました。
千葉
ありがとうございます。ソフトバンクで担当されていた仕事について、もう少し詳しくお聞きしたいです。
伊藤さん
最初は新規開拓の営業をしていましたが、入社後3〜4年経った頃から徐々に大きな既存クライアントを任されるようになりました。その後、入社5年目で突然異動を命じられたんです。その異動先は地方自治体との取引を行う部署で、ここでの仕事が自分にとってターニングポイントとなりました。
会社の規模の割に地方自治体との取引が少ないという課題が当時あって、会社にとって未開拓の市場である地方自治体を攻略するため、チームが編成された形でした。
地方自治体とのことも公共機関への営業のお作法もわからない状態でスタートしていましたが、僕はものすごく楽しかったですね。会社の中で正解を知る人がいない・少ないからこそ、正解を探しながら仕事を進められた。今振り返っても、初めて仕事が楽しいと思ったのはこのときでしたね。
千葉
なるほど。地方自治体への営業は、どのくらいの期間担当されていたのでしょうか?
伊藤さん
2年間くらいですね。その後まだ経験したことがない仕事をしてみたいと考えていたときに、ジョブローテーションで中国の会社との合弁会社を作る仕事が回ってきたので応募しました。当時流行していたライドシェアを日本で行う会社ということで、海外の方と一緒に働いてみたいという想いと新しいビジネスを日本で立ち上げることに対する興味があり挑戦した形ですね。
合弁会社と海外ビジネスの難しさに直面
千葉
新しい挑戦として出向した合弁会社が、DiDiモビリティジャパン株式会社なのですね。立ち上げ時の社員数は、どのくらいだったのですか?
伊藤さん
30名くらいだったので、立ち上げ時にしては多いほうだと思います。最終的に抜ける頃には、100名を超えるくらいになっていましたね。組織が急成長していくところを経験できました。
千葉
それまでとは大きく異なる仕事をすることになったと思いますが、DiDiで大変だったことがあれば教えてください。
伊藤さん
対クライアントと対社内のどちらも言葉や文化の違いがあって、最後まで統一できなかった印象があります。合弁会社は異なる会社のカルチャーの調和が難しいと一般的に言われていますが、DiDiの場合はさらに中国の会社であるという難しさが加わっていましたね。
英語や通訳を介してコミュニケーションをしていましたが、お互い母国語ではない言語でタクシーという特殊な環境について語り合うのは、今思い返すだけでも嫌だと思うくらいスリルがありました。うまくいくこともありましたが、うまくいかなかったことのほうが多いですね。言葉のすれ違いや文化の不理解などがあり、難しかったです。
日本人と中国人の働き方の違いも顕著でしたね。僕たちと同世代や下の世代の中国の方は、めちゃくちゃ働くんですよ。週6日10〜12時間働くのがデフォルトで、ボサボサしていると追い抜かれる危機感を持って働いている。人口が多く働かなければ勝ち抜けないという感覚が先天的に身についているからこそ、残業時間を気にしている我々日本人とは決定的に違うと感じました。
そのような働き方に合わせるのも、難しいところでしたね。情熱をかけて仕事に取り組む同世代の中国人社員を見て、自分はこのままでいいのかと考えることもありました。
千葉
すごいですね。大変だったからこそ、成長が実感できた期間でもあったのではないでしょうか?
伊藤さん
それはあるかもしれません。成長といえるのかわかりませんが、人間として自分が今まで持てていなかった視点を得られたと思います。
在籍のうちのほとんどは、なんで伝わらないんだろうという苛立ちのような想いがありましたし、中国の人たちはこうだからという決めつけもしていました。しかしよく考えれば、中国の社員たちも日本というよくわからないマーケットに突然放り込まれている。そして中国のDiDiは当時社員が1万名ほどいた会社で、言い方は悪いですが社員の替えがいます。そんななかで働き続けるためには、競争に勝たなければいけない。僕たちには想像できないくらい熾烈な競争のなかにいるなら、同じ目線で働けるわけがないなと向こうの立場も理解できました。
日本の、特に大企業の社員の視点だけで見ていたら絶対にわからないことがわかったので、そこがDiDiで働いてよかったと思う1番のポイントですね。
迷ったら挑戦、チャンスを見つけると発揮される謎の決断力
千葉
DiDiで2年ほど働いたあとは転職されているとのことですが、どのようなきっかけで転職されたのでしょうか?
伊藤さん
新型コロナウイルスの影響もあったのですが、2020年3月頃に事業の整理が始まり、日本のDiDiでも事業縮小で何名かをソフトバンクに戻す動きがありました。残るか転籍するかを迫られる同僚もいましたが、僕はやったことがないことをやってみたいという想いが強かったので、転職しようと考えました。
結果的にはリファラルでシード期のスタートアップに採用されました。そこはもともとソフトバンクがやっていた新規事業がスピンアウトした会社だったんです。そこに知人がいたので話を聞きに行き、おもしろそうだなと。シード期のスタートアップの求人は、なかなか表に出ません。この先の人生で探しても見つからないだろうと思ったので、入社を決めました。転職先のZenmov株式会社は、当時5名ほどの社員でスタートしてましたね。
千葉
なるほど。ソフトバンクは同期だけで1,000名いて、その後のDiDiでは組織の立ち上げ時に30名。そしてZenmovではさらに人数が少なくなっていますが、そこに不安はなかったのでしょうか?
伊藤さん
いやぁ、不安しかなかったですね。ただ、僕にはビビるとONのボタンを押す謎の性格がありまして、新たな挑戦にビビり散らかしながら「もう行っちゃえ」と転職を決めました。とても迷いましたが、40歳の自分を想像したときに同じ選択はできないだろうと考え、30代の今挑戦してみようと考えたんです。
千葉
すごいですよね。「伊藤スイッチ」が発動して、今しかできない経験のために飛び込んだというのが。
伊藤さん
僕、普段は決断力に課題を感じるタイプなんです。優柔不断で決めきれなくて、実際に周りに迷惑をかけたり選択を誤ったりしています。家でも妻には優柔不断と言われています。それでも、振り返ってみると「伊藤スイッチ」で謎の大きな決断を何度かしているのが、自分でもおもしろいですね。
いろいろなことにチャレンジし、できることの幅を広げる
千葉
Zenmovに転職してからは、どのような仕事をされていたのでしょうか?
伊藤さん
5名で始まった組織ということで、本当に幅広い仕事をしていました。日本発の交通サービスを世界に広めることをミッションにしていて、フィリピンの交通事業者と共にモビリティサービスの開発をしている会社です。フィリピンをはじめとする東南アジアは公共交通機関が脆弱で、電車はあるものの東京の市バスや都バスのような網の目をつなぐ交通機関があまり発展していません。だからこそライドシェアが盛り上がっているんですが、道路が狭いため皆がアプリで車やバイクを呼んで2人乗りで走りまくるとあっという間に渋滞してしまいますし、環境的にも良くありません。
コロナ禍もあり現地には行けませんでしたが、フィリピンの方々と遠隔でディスカッションして現地のドライバーにシステムを提供し、お客様向けの開発を進めるのを現地の方々と一緒にやっていました。中国人ともまた違うカルチャーを持つフィリピン人と仕事するのもおもしろかったですね。
あとは日本でEVのカーシェアリングのような事業を立ち上げたり、運転資金を稼ぐためにアプリ開発の仕事を取ってきたりいろいろなことをしていました。
千葉
ありがとうございます。そんなにいろいろな仕事をされていたということは、やはり仕事の幅も広がったのでしょうか?
伊藤さん
そうですね、とても広がりました。転職するときは、例えば営業でキャリアを積んできたなら営業職で採用という流れが一般的だと思うんですが、社員が少なかったので何でもやることになるんだろうなーとポジティブに思っていて、実際も想像どおりでした。
仕事が広がることに対する抵抗感は、僕には全くなかったんです。このためにこれが必要だからやらなきゃという形で、1個ずつ潰していった感覚ですね。
三刀流の対応が難しく、1つのスキルに特化したいと考え転職
千葉
現在働いていらっしゃる株式会社リチカも成長中のスタートアップだと思いますが、Zenmovからリチカに転職されたきっかけは何だったのでしょうか?
伊藤さん
Zenmovを辞めたのは、僕自身の都合が大きいですね。ベンチャーなので自分で正解を探して強く推進していかなくてはいけないなかで、経営陣から求められる期待に応えられなかったと思っています。
自分が価値のあるアウトプットをできていないと感じたんですが、その原因としてはやっている仕事が広すぎるかなと思っています。海外の仕事は政府機関からの助成事業だったので研究レポートの仕事が必要になったり、カーシェアリング事業ではBtoCのマーケティングが必要だったり。運転資金を確保するためのアプリ開発では、受託開発のB2Bの新規営業スキルやシステム開発の知識も一定必要です。それぞれの仕事で違う筋肉が求められて、三刀流でやらなきゃいけなかったんです。
そのとき僕は、今の自分の筋肉ではどのスポーツにも適用できないなと感じていました。だからこそ、環境を変えてどれか1つのスキルを伸ばせるようにシフトしたほうが、結果的に将来自分が人の役に立てる人材になれるんじゃないかと思ったんです。先ほども出てきた謎の「伊藤スイッチ」がここでも入って、よしじゃあ辞めようとスパッと決めました。
千葉
これは本当に読者の方にもお伝えしたいですね。伊藤さんは大きな会社でも働いているし、スタートアップの立ち上げも経験されている。いろいろな経験をしてきたからこそ、三刀流ではなく1つのスキルを伸ばしたいというご自身の特性に気づかれたのだと感じました。
原点に返り、スタートアップでカスタマーサクセスに再挑戦
千葉
現在働いているリチカという会社について、教えていただけますか?
伊藤さん
「リチカでリッチ化」というキャッチコピーで伝えさせて頂いていますが、リチカはクリエイティブの力でコミュニケーションをもっとリッチにしようとしている会社です。特にデジタルマーケティングの領域で、広告やSNSのクリエイティブを制作できるSaaSを提供しています。私は既存顧客をサポートするカスタマーサクセスを担当しています。
動画クリエイティブは自社で作るハードルがまだ高いと悩んでる企業がたくさんいます。一本作るのに数十万したりとか、安く作れても成果出ないとかはよくある話だと思います。
先ほど三刀流ができなくて転職したと言いましたが、原点に立ち返ってみると自分が1番やってきたのは新規性の高い商品やサービス、まだ世の中に浸透していないものをお客様に届ける過程だと思ったので、もう一度クライアントワークに特化して挑戦しようと思ったんです。ただし、僕はデジタルマーケティングについてプロフェッショナルと言えるほどのナレッジは持っていませんでした。リチカに入社してからは、ひたすら勉強の毎日です。
千葉
ありがとうございます。最後に、読者の方にメッセージをお願いします。
伊藤さん
今はデジタルマーケティングという新たな領域でアウトプットを求められる毎日ですが、正直もがき苦しんでいます(笑)。でも、過去にその領域の経験があるからその環境でパフォーマンスが出せるというのもまた全然違う話だと思っていて。だからこそ今回のインタビューで生まれた「伊藤スイッチ」のように、振り返ってなぜやりたいか何をしたいかを言語化して仕事に向き合うのが大切だと思っています。
例えば就活時に「自分は何もやってこなかった」と悩む方は多いですが、やってきたことを表面的に振り返るのではなくどのような感情だったかとか、そのきっかけを振り返ったほうが、自分の新たな一面に気づけると思うんですよね。自分の決断や感情を言語化することは、再現性を求められるビジネスにおいて役立つことだと思います。とはいえ、僕もまだ「伊藤スイッチ」について言語化しきれていないのですが(笑)。
千葉
ありがとうございます。「伊藤スイッチ」で大きな決断をして新たな環境に飛び込んでいくのが、伊藤さんのアイデンティティのひとつになっているんだと感じました。
今までの自分を振り返って言語化していくことは、おっしゃるとおりビジネスをするうえで重要だと思います。僕も意識していきたいですし、読者の皆様にもぜひ取り組んでいただきたいですね。伊藤さん、本日はありがとうございました。
2013年に同志社大学を卒業し、ソフトバンク株式会社に入社。法人営業に配属後、新規開拓やアカウントマネジメントを経験。その後中国のライドシェア企業との合弁会社に出向し、タクシー配車アプリ事業の立ち上げを経験。2020年に同じモビリティ領域のスタートアップへ転職し、フィリピンでの移動サービスの立ち上げ等に挑戦。2022年以降は、デジタルマーケティングのクリエイティブ領域のスタートアップである株式会社リチカでカスタマーサクセスマネージャーとして、代理店や求人メディア向けに動画商品の販売支援等を担当。