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老舗鰹節屋の若手後継者として、「体験」を発信するため奮闘

キッカケインタビュー

2023.11.15

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130年以上の歴史を誇る鰹節屋・ヤマキウ株式会社の跡取り息子として生まれ、いずれ家業を継ぐと考えながら会社員や独立の経験を積む。若手後継者が集まるコミュニティに携わりながら、2023年7月に家業を継ぐため大阪に拠点を移す。これまでの経験を活かして家業の発展のために行動している鈴木彰さんに、お話を伺いました。

「ヒトはキッカケがあれば必ず変われる」生き方・働き方を応援するキッカケインタビュー。
第23回目の今回は、老舗鰹節屋のヤマキウ株式会社の後継者である鈴木彰さんにお話を伺いました。

130年以上の歴史を持つヤマキウ株式会社の跡取り息子として生まれた鈴木さんは、いずれ家業を継ぐと考えながらも経験を積むために商社で働き、独立も経験しました。また、若手後継者が集まるコミュニティに参加し、横のつながりを強化。2023年7月には家業を継ぐため大阪に拠点を移し、これまでの経験を活かしながら働いています。鈴木さんが商社で働いたり独立したりした「キッカケ」や、若手後継者として奮闘する現在の活動について語っていただきました。
鈴木彰さん

鈴木彰さん

ヤマキウ株式会社 8代目後継者(予定)
新卒で商社に入社し、新規事業部で一眼レフカメラの部品の開発プロジェクトに携わる。2年半後に独立し、地域活性化支援事業や採用支援事業を開始。2020年に流行した新型コロナウイルス感染症の影響で採用支援事業が難しくなったものの、並行していた映像制作事業が成長。2023年に拠点を大阪に移し、家業であるヤマキウ株式会社を継ぐために動き始める。

できるだけ早く商いを経験するため、大きすぎない規模の商社へ

千葉祐大(以下 千葉)

鈴木さん、本日はよろしくお願いいたします。鈴木さんは東京の大学に進学されたと伺いましたが、どのような学生時代を過ごし卒業後の進路を決められたのでしょうか?

鈴木彰さん(以下 鈴木さん)

よろしくお願いいたします。大学時代にはいずれ家業を継ぐと考えていましたが、その前に独立したい想いがあったので商学部に進学しました。そこで意識が高い方と話をしたり、ウェブデザインの会社へインターンシップに行ったりしましたね。

これは意識高い系あるあるだと思うんですが、私は学生起業に興味があり、当時は就職を考えていなかったんです。ウェブ制作が若干できたのでそれで独立しようとふんわり考えていたんですが、母親からさすがに就職したほうがいいと言われ、遅れて就職活動をスタートしました。

将来家業を継ぐため、就職先は商売ができるところにしようと考えました。そこで、商社でプロジェクトを動かすのが商いらしくていいと思い、商社を目指すことにしたんです。家業は食品業界なので、せっかく就職するなら真逆の世界を見に行きたいと考え、電子部品の専門商社に入社しました。

商社のなかでは中堅の会社を選びましたが、それは早めにプロジェクトを動かす立場になりたいと考えていたからです。僕は当時から30歳くらいで家業を継ごうと思っていたので、それまでに経験を積みたいと考えていました。大きな商社では若いうちからプロジェクトの中心メンバーになることは難しいと感じたため、大きすぎない規模の商社を選んだ形です。

千葉

素晴らしいですね。しっかりと逆算して行動していらっしゃる。家業を継ぐタイミングを30歳くらいと決めたきっかけは、何かあったのでしょうか。

鈴木さん

20代のうちはいろいろな世界に触れて、失敗を含めた経験をしながら成長していく段階だと思うんです。そこから再スタートを切れるのが30歳頃かなと思ったので、30歳になったら家業を継ごうと考えていました。

とはいえ、継ぐ継がないの話を父親としたのはここ1年ほどのことです。それまでは、そこまでガッツリ継ぐことを話していたわけではなく、父も古い業界だから無理して継がなくていいと言っていました。ふんわりと継ぐだろうなぁと話していて、2023年7月に家業に入った形ですね。

千葉

ありがとうございます。これまでにインタビューしてきた方のなかにも、逆算で動いてはいないものの結果的に30歳前後でターニングポイントを迎えた方はたくさんいました。やはり、30歳というのはひとつの区切りになるのでしょうね。

商社で2年半経験を積み、老舗の課題解決に向けて独立を決意

千葉

早めにプロジェクトに携わりたいという想いで商社に入社されて、実際のお仕事はいかがでしたか?

鈴木さん

ありがたいことに、入社直後から新規事業部に配属されたんです。新しくできた部署で人手も足りなかったので、早い段階からプロジェクトを任せてもらえました。

あるメーカーの一眼レフカメラに使われている部品の開発プロジェクトに携わっていたんですが、リーダーとしてやらせていただけたんです。とはいえ文系出身で電子部品のことも全くわからなかったので、知識を素早くキャッチアップする力が身につきました。

プロジェクトを動かすという自分の希望が叶った一方、商社は部品などの専門ではなくあくまで開発プロジェクトを動かす役割なので、専門分野がないことは弱みだと感じていました。ただし、弱みを語っても仕方がないので、いろいろな専門家とコラボしながらプロジェクトを推進していくことを目指していましたね。入社してすぐにプロジェクトを動かせたのは、良い経験でした。

千葉

ありがとうございます。商社に2年半勤められたあとは、独立されているのですね。独立のきっかけを教えていただけますか?

鈴木さん

新卒の段階でプロジェクトに携わることができ、担当していたプロジェクトが終わったのが入社後2年半くらいのタイミングだったんです。そこで部署異動が決まったので、これから新しい部署でゼロから積み上げるより独立しようと考えました。

当時24〜25歳くらいで、今思えばもう1回転職する道もあったと少し後悔している部分もありますが、会社員時代から起業塾に入っていたので独立の準備はできていたんです。いずれ家業を継ぐなら、老舗ならではの問題を解決する事業をしようと考えました。

うちに限らず老舗はずっとアナログでやってきたからこそ、マーケティングが弱いと感じていました。そこで、もっと情報発信などに力を入れられるよう、マーケティング関係の事業をしたいと考えたんです。家業に入ってマーケティングをする道もありましたが、他の会社や老舗の店舗もおそらくマーケティングで大変な思いをしているだろうから、せっかく独立するなら老舗専門のマーケティング支援をしようと思いました。

そこでお客様を探したところ、たまたま起業塾で地域活性化事業をやっていたんです。そこに僕もスタッフとしてジョインさせてもらっていて、そこから地域の古い会社さん向けのサービスを始めることにしました。

千葉

きちんと準備して独立するのは大事ですよね。家業のバックグラウンドがあり、そこから課題を解決するための事業をやろうと動き始めたのが素晴らしいです。

地域活性化を促すための採用支援から、映像制作に事業をシフト

千葉

実際に独立されて、地域活性化支援は順調に進められたのでしょうか?

鈴木さん

最初はスキルなし・経験なし・人脈なし・お金なしのないないづくしで始めたので、きつかったですね。自分にとって縁もゆかりもない地域だったので、ゼロから事業を組み立てていくのはキャッシュがもたないと感じていました。

そこからいろいろな方と話した結果課題として上がってきたのが、人材不足だったんです。課題が浮き彫りになったので、人材不足に悩む方向けの採用支援をやろうと考えました。しかし、いろいろな媒体と代理店契約をさせていただき、本を読んで知識もつけて、これから実際に営業をかけていこうというタイミングで新型コロナウイルスが流行したんです。営業もできなくなり、人材も不要という状況になってしまったんですよね。

千葉

僕も2020年に独立しているので、気持ちはよくわかります。世の中の行動習慣が、全部変わりましたよね。

鈴木さん

そうなんです。その時点で採用支援事業を続けるのは難しいと判断したんですが、当時実は動画制作の仕事もしていたんですよね。動画は文字だけでも音だけでもない映像によって情報が入りやすくなるので、採用ブランディングの際に魅力的な動画が作れたらいいと考え、採用支援事業と並行して動画制作も進めていました。そして動画制作のほうは、たまたまコロナで伸びたんです。一気に需要が増えて事業として回り始めたので、しばらくは動画制作をメインとしていました。

最初はYouTube動画の編集から始まり、だんだんと撮影もセットでご依頼いただくようになりまして。そこから次はライブ配信の手伝いも増え、映像制作事業が膨らんでいきました。徐々に企画もセットでやってほしいというご依頼もいただくようになりましたね。コロナで難しくなった事業もありましたが、成長するチャンスもあるんだと気づくきっかけになりました。

イベントを開催し、食に携わる若手後継者とのつながりを強化

千葉

鈴木さんは若手後継者が集うコミュニティにも参加されていると伺いましたが、どのような活動をされているのでしょうか?

鈴木さん

若手の後継者が集まる社団法人がありまして、僕は最初1会員として参加させていただきました。映像制作をしていることもあり、必要なときにスタッフとして使ってもらうこともあったんです。そこからイベントを企画して、食に関わりのある若手後継者との横のつながりを強化しました。今は家業に戻っているので、今後さらに多くのイベントを開催していきたいと考えています。

千葉

家業に入られたのは、2023年の7月でしたよね。いよいよ家業を継ぐと意思決定されたきっかけを教えてください。

鈴木さん

抱えていたプロジェクトが終了するタイミングがあり、そこから新規案件を受けるとおそらくタイミングを逃してしまうと感じたんです。ちょうどその頃家業も忙しくなってきて人手が足りなくなっていたので、父親からどうするんだと連絡がありました。そこで、受け入れてくれるタイミングなのであればということで家業に入った形です。

千葉

息子さんが家業を継いでくれることが正式に決まり、お父様としては嬉しかったでしょうね。

鈴木さん

そうだと思います。父と2人で飲みにいくこともあるんですが、父行きつけのお店に行くと、お店の方が「息子さんが継いでくれて良かったね」と父に話していたんですよね。それを見ると、喜んでくれているんだろうなと感じます。

千葉

これから頑張っていくところだと思いますが、素敵な親孝行ですね。

鰹節に関する体験を、広く発信できるイベントやコミュニティを展開したい

千葉

創業130年以上の歴史を誇る家業に入られて、現在どのようなお仕事をされているか教えてください。

鈴木さん

僕は「鰹節Night」というラジオをやらせていただいているんですが、そのときに「体験」のお話をしたことがあるんです。鰹節は単純に商品として売るだけのものではなく、日本の伝統的な文化であり、健康的なものでもあります。そのような体験を、皆さんに発信できるような事業がしたいと思っています。

そう思うようになったきっかけは、映像制作の経験が大きいですね。映像をやっていると、いろいろなイベントに携わることができます。また、映像制作をする前は地域活性化のイベントにジョインさせてもらったこともあるんです。皆で集まってコミュニティを作り、皆で同じことを考えたり体験したりする場を経験したことが、僕が今後何をしようか考える礎になっていると思います。

まだ細かく決まってはいませんが、今後は外国人向けのイベントもやろうと考えています。できれば、子ども向けの食育イベントもできたらいいですね。イベントやコミュニティといった方向性の事業を、これから立ち上げていきたいと考えています。

千葉

ありがとうございます。もともとBtoB事業が中心の会社で、時代の変化に伴いBtoCの取り組みが増えていくこともあるかと思います。鈴木さんが家業を継ぐことで、新しい時代の事業展開が進んでいくと思うと楽しみですね。

鈴木さん、本日は参考になるお話をありがとうございました。

文中にもある外国人向けのイベントも無事開催されました。

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