商社から未経験でエンジニアに大転身。 独立・起業で新たな挑戦の今
第六回目の今回は、2回の転職を経てエンジニアのサービス会社を立ち上げた宮島佑さんです。文系で総合商社に就職した後、エンジニアに転職するという異例の経歴を持ち、技術を学ぶ環境を維持するためにベンチャー企業を2社経験した後に起業。そこで、宮島さんに転職・起業のきっかけをインタビューしました。
最初は漠然と商社に就職。仕事の中できっかけをもらう
千葉 祐大(以下、千葉):
今日はキャリアストーリーの6人目です。大企業の丸紅(まるべに)からスタートアップの会社に転職して、現在は企業・独立をされている宮島さんに来ていただいてます。よろしくお願いします。
宮島佑(以下、宮島さん):
よろしくお願いします。私は2014年に新卒で丸紅株式会社に入りまして、丸紅に7年ほど勤めた後に、スタートアップのベンチャー企業を2社経験しました。その後に独立を致しました。
千葉:
なかなか聞き応えがありそうなキャリアですね。現在エンジニアとしてご活躍されていますが、丸紅入社当初からエンジニアをされていたのでしょうか?
宮島さん:
丸紅は、いわゆる文系の総合職で入りました。その後にベンチャー2社を経験したのですが、そちらではエンジニアとしてウェブ関連のいわゆるバックエンドエンジニア、フロントエンドエンジニアとして業務をしていました。
千葉:
なるほど。文系総合職で入られて、エンジニアに転職したんですね。エンジニアに転身されたきっかけはどのようなものだったのでしょうか?
宮島さん:
丸紅では最初、エネルギーの部署に配属になって、5年くらい天然ガスの仕事をやっていました。けれど、テクノロジーとは全然関係のない、どちらかというとオールドファッションな業界で、海外の石油とか天然ガスの海外にある検疫のプロジェクトの事業投資だったりとか。そういう仕事をしていたのが最初の5年です。
その後、丸紅の中で部署移動がありまして、ヘルスケアとかテック系とか、商社が「現在まで取り組んでこなかった成長領域を中心に新規で事業を作っていこう」という部署が当時、私が6年目とか5年目の時に立ち上がりまして、そこに移動になったんですね。
そこの部署で私は東南アジアでECサイトを新規で新しく立ち上げるという担当になりまして、ゼロから現地で事業を作る経験をします。その部署での経験から「会社を辞めて、自分で独立して起業していきたいな」と思ったのがきっかけです。
しかし、テクノロジーの知識があまりにもなくて、「テクノロジーって何なのか?」とか「テクノロジーを使ってサービスを立ち上げれたらどういうことなのか?」とか、そういうことをちゃんと理解した上でやりたいと思い、学びたかったんです。まずはエンジニアとして自分で作ってサービスを立ち上げるようになるのが一番早いですし、本質的な理解になると思いエンジニアになりました。
千葉:
そこから自分で起業したいって思ったんですね。何かきっかけはありますか?例えば、すごい大きなきっかけがあるのか、それともさらっとしていたのか。そういう気持ちの変化みたいなものです。
宮島さん:
そうですね、結構それなりにサラッとしていたのかもしれないです。内面的にサラッとしすぎていたせいか、今でも苦労はしています。きっかけとしては丸紅にいたときに、新規事業開発を長年していたことです。
大企業の中での新規事業開発となると、組織の中での一員として動くスタンスが求められます。それで、うまくいかないこともありました。
そんな中で、当時VCの人とか周りで起業をしている方と一緒に仕事をさせていただく機会が多かったため、間近で見て刺激をもらいました。
自分がやってる新規事業開発って、少し本質とずれたことをすることが多いと思いました。自分がやりたいのはそういう組織の中だけではなく、自分個人で作る方だと。だんだんとそう感じ始めて、意識が変わったことですね。
千葉:
丸紅に入社する前から起業は視野にいれていたのでしょうか?
宮島さん:
いや全然ありませんでした。大企業に入って、そのまま生きていくと思っていたタイプの人間でしたね。
千葉:
丸紅でスタートして、自分のマインドも変わり、次に会社組織の外に出た(商社を辞めた)何か具体的なきっかけはありますか?
宮島さん:
もともとエネルギー事業に5年いて、その天然ガス分野の新規事業を担当するのを2、3年していたんですよね。自分で企画して営業していましたが、なかなかスピード感を持ってできませんでした。
エネルギー事業にこだわらず、新しく事業を作っていきたい気持ちがありました。そこで、丸紅の中で新しい部署が設置されて、当時、新規事業専門部隊みたいなチームに自分で移動したんです。けど、やはり自分が思い描いてるものと違うと感じました。それで、他の起業してらっしゃる方と一緒に働いて、「こっちに行きたいな」と思ったんですね。きっかけはやはり人との出会いでした。
後は、よくベトナムに行ってたんですけど、ベトナムで起業している方と話をして、「自分はこういうことやっていきたいんだ」と、刺激を受けました。それがきっかけだと思いますね。
転機となったエンジニアへ。プログラミングスクールに通い、そこでの出会いが短期間での転職を可能に
千葉:
その後、エンジニアに転職したのでしょうか?それとも自分で勉強したのでしょうか?
宮島さん:
最初の転職では、会社を辞めた後にプログラミングスクールに3ヶ月くらい通いました。
千葉:
すっぱりと退職をして勉強に集中したというのはすごいことですね。打算的に勤めながら勉強するというのもあったはずですよね?
宮島さん:
そうですね、最初の会社ですし、大企業でそれなりに待遇面でも優れているっていうところで、辞めるのに結構エネルギーが必要だったっていうのもあって、勢いで辞めようと思いましたね。
仕事も結構忙しくて、勤めながらだと知識がつくまでに半年以上もかかるし、辞めた方が早かったのです。もともと辞めるつもりでいて、辞めたい状況でダラダラ続けるのも少し辛かったんです。
千葉:
次は、プログラミングスクールに入って、初めての転職活動となった訳ですが、どのようなきっかけがあったのでしょうか?
宮島さん:
ポート株式会社という会社に入社したのが初めての転職活動です。プログラミングスクールに通って、そのプログラミングスクールを運営されている方のご紹介で、ポートの社長をご紹介いただいて、「どうですか?」とお誘いいただいて内定が決まりました。
千葉:
なるほど。では当時、転職活動はしなかったのですね?
宮島さん:
そうですね、いわゆる何社も受けてという本格的な転職活動はしていません。
千葉:
転職活動はしていないとのことですが、複数の会社を見たり話聞いたりはしましたか?
宮島さん:
いや、実はほとんどしてないのです。理由は、エンジニアの転職には時間がかかるためです。当時エンジニアとしては実務経験がない状態で転職をしなければなりませんでした。
エンジニアとして自分のポートフォリオを作るのに数ヶ月は必要になるんです。僕の場合は幸運なことにそれを作る前にお声掛けいただいて内定が決まったのです。
正直、当時働いてなかったのもあり、何よりも早くエンジニアとして現場に入りたい気持ちがありました。ですので、時間重視で採用いただきましたね。
千葉:
では、ポートでは念願のエンジニアの現場仕事をされていましたか?
宮島さん:
そうですね。エンジニアの仕事と、後はいろいろやらせていただいて、就活系のメディアが主軸になる会社で、その就活系のメディア運営とか、あとは開発系とかです。マーケティング系と開発系のどちらも経験して、中でも開発系を希望していたので開発系メインでしたね。
千葉:
ポート株式会社も上場企業ですが、丸紅と比べると規模が全然違うかと思います。そのギャップに悩むことはありましたか?
宮島さん:
あまりないです。ベンチャー企業であるギャップを感じるというよりは逆に、当時既に上場していたので「大企業だな」と思いました。というのも、丸紅の場合ですと社員数は多いけども結構1人で小さなチームで大きなプロジェクトを担当することが多くあります。
例えば、1人で1つのプロジェクトを担当していたのです。けれど、ポートに入って、一つのメディアを何十人のチームで担当して人数が多かったことですね。人数の規模はポートの方が大きい、という逆のギャップがありましたね。
不動産会社(SaaS系)へのさらなる転職でエンジニアの技術力やスキルを高める
千葉:
次に、イタンジ株式会社に転職されていますけど、そこに移るきっかけは何ですか?
宮島さん:
ポートで1年ほど働いた後に、イタンジという不動産のSaaSの会社に転職しました。イタンジは株式会社GA technologiesという不動産の会社の子会社ですが、もともとイタンジも独立したスタートアップ企業です。
けれども私が入った段階では、すでにGAテクノロジーの子会社になっていた状況でして、そこでの転職は、シンプルにエンジニアとして技術力を上げたいプロジェクトを変えて「他の技術を使ってみたい」というのがきっかけでしたね。
宮島さん:
自分から会社を探したのか、もしくは会社の採用面接を受けたのか。具体的にどういうアクションをしたのですか?
宮島さん:
当時はWantedlyなどで会社を自分で探し、いくつか面接をしました。2回目の転職ではありますが、この時初めて普通の転職活動をしたといえるかもしれないですね。初めて転職活動のためにいくつかの会社を見るという行為をしました。
宮島さん:
そうですね。基準は2つあります。まずは、新しい技術をキャッチアップできる会社であるということを軸に選んでいます。例えば、プログラマーとして受けたので、Rubyをメインとしてる会社です。あとはモダンな言語(開発言語)を使っている会社です。
もう1つは、開発が主体の会社です。開発を通じて会社がグロース(成長発展)するスタートアップ会社を基準に選びます。そういうベンチャースタートアップにもいろいろな成長の仕方があると思いますけど、やはりプロダクトが強い会社を一つの基準にして選びましたね。
千葉:
自分でエンジニアとして複数の会社を経験することを選んだ理由はありますか?
宮島さん:
元々は考えていませんでしたが、一つのプロジェクトを長くやっているほどその技術だけになってしまうんです。そのせいで、少し幅が狭まるところがあって、例えば、バックエンドとフロントエンドは大きく分かれていますけど、「フロントエンドのこの技術をやりたい」というとき、どうしてもプロジェクトを変えざるを得なくなります。
エンジニアはプロジェクト単位で移って、環境を変えないと技術を学べなかったりするのです。そこで「サクッと環境を変えてみようかな」と転職を決めました。
千葉:
会社という組織に所属するのは「次で最後かな?」という感じはありましたか?
宮島さん:
そうですね。ここが最後だろうなという気持ちでした。それは当時からですね。プログラマーとしての成長は本当にキリがないので、日々新しい技術がどんどん生まれてきていますし、全ての領域でキャッチアップすることは当然できません。ですので、技術的なキャッチアップという意味でも「ある程度、ここでこういう技術を学んだら、一旦区切りにしたいな」という気持ちで転職は当時は決めましたね。
千葉:
次のステップを意識し出したのっていつ頃でしたか?
宮島さん:
そうですね、ずっとそれは意識はしていて、例えば、プライベートでいうと自分でサービスを作ってローンチするのはしていました。個人開発みたいなものをやっていたりしたので、そういうのはずっと意識していましたね。
千葉:
そろそろかなって、区切りをつけたきっかけはあるんですか?
宮島さん:
そうですね、開発のスキル的に大体のことを経験したときです。10年・20年のベテランの方からしたら全然及ばないですけど、いわゆる「エンジニアとして必要最低限できないといけないこと」は最低限の経験をした、それがきっかけです。
宮島さん:
そのタイミングは去年だったので、2022年の話です。ですから、イタンジをやめたのが30歳の時ですね。
千葉:
コロナ全盛期の時なんですね。そういう環境下でも起業をしようと思いましたか?
宮島さん:
あんまりコロナを意識していなかったですけど、逆にコロナで停滞してる人が多いからこそ、並べていろいろ動いた方が後で差別化できるかなとも思いました。後は、コロナがマクロ的な要因で個人レベルにはあまり関係ない気がして、あまり深く考えてなかったですね。
システムの受託開発、ウェブ関連の開発。ChatGPTを使った開発もしている現在
千葉:
いよいよ独立して自分で起業されて法人設立のお話となりますが、現在はどのような会社を経営されているのでしょうか?
宮島さん:
Goraft株式会社という会社を経営していて、現在はシステムの受託、開発をメインに運営しております。ホームページ(サイト構築)もできますが、どちらかというとウェブ系のアプリケーション開発です。
例えば、プラットフォーム系のサービスやダッシュボード系のツールなど、プログラミングでウェブ系(ブラウザで動くもの)であれば全般的に開発できます。
ですので、そういった案件を今もお客様から受注して、その開発をやってるような形です。
最近流行ってるChatGPTを使った社内の業務効率化や顧客コミュニケーションの活性化を試みる企業が現在増えています。そこで、新しい分野としてAIを使った支援もしています。
宮島さん:
はい、今年の早い段階から「ChatGPTを使った開発ができないか?」というお話をいただいたこともありました。ChatGPTという言葉が今年の1月には流行りだして、結構早い段階からキャッチアップできています。
宮島さん:
そうですね。結構考えながら迷いながら今もやってるところですけど、人の生活に必要不可欠だと思えるものをITを使って作りたいという気持ちはずっとあります。
ITの良いところと生活の良いところを掛け合わせたようなものを「自分で作っていきたい」と思っております。結構難しいですけれども、漠然とそういうことは思っています。
千葉:
ITで生活をよりよくするというチャレンジですね。素晴らしい。今後の宮島さんのご活躍がとても楽しみです。
宮島さん、本日は貴重なお話をありがとうございました!