icon-sns-youtube icon-sns-facebook icon-sns-twitter icon-sns-instagram icon-sns-line icon-sns-tiktok icon-sns-etc
SEARCH

日本の温浴文化“OFURO”を世界共通語へ。26歳の飽くなき挑戦

キッカケインタビュー

2023.09.06

SHARE WITH

  • facebook
  • twitter
  • LINE

「ヒトはキッカケがあれば必ず変われる」生き方・働き方を応援するキッカケインタビュー。
今回の記事の主人公は話題の会員制温浴施設、サーマルクライムスタジオ富士 支配人の山田英介さん。
学生起業から現在に至るまで、自らのビジョンに実直に従って邁進してきた山田さんのエネルギッシュなストーリーをお届けします。

プロフィール

プロフィール

山田英介(やまだ えいすけ)さん
バスリエ株式会社 サーマルクライムスタジオ富士支配人
1997年生まれ。学生時代のカルビー株式会社でのインターンシップを経て在学中、一般社団法人Furobalshipを設立。日本・世界の温浴文化を学び研究し活動を続けていたなかで、サーマルクライムスタジオ富士での温浴体験に衝撃を受け、現在に至る。

千葉祐大(以下千葉)

本日のインタビューは、先日僕自身が合宿人さんの合宿でお邪魔をしたサーマルクライムスタジオ富士で支配人の山田さんの情熱溢れるストーリーを伺い、山田さんのストーリーを是非読者の皆さまにお届けしたいと思いインタビューにお誘いいたしました。山田さん、本日はよろしくお願いします。早速簡単な自己紹介をお願いします。

山田英介さん(以下山田さん)

はい。現在26歳の山田英介と申します。今はサーマルクライムスタジオ富士という静岡の裾野市にある会員制のサウナ施設で支配人として働いております。
僕は”OFURO”を世界共通語にするという夢を持っており、日本の温浴文化を世界に広めるような活動を支配人を務める施設を通して行なっております。

千葉

自分が26歳の時のことを思い出すと、世界に何かを広めるような壮大なビジョンを一度も思ったことがなかったですよ。山田さんのお話がますます楽しみです、よろしくお願いします!

勉強が嫌いで、サッカーに明け暮れた高校時代

千葉

山田さんの価値観も含めて学生時代のことも伺えればと思うのですが、今26歳の山田さんからすると10年前ほど前になる高校時代はどのように過ごされていたのですか?

山田さん

サッカー選手になるのが夢だったんです。高校はサッカー推薦で入学をしたので、大学にもサッカーで入ることを目指して、毎日朝7時から夜までサッカーざんまいでした。
しかしながら、大学はサッカー推薦をもらうことができず、現役で受かった大学は志望校ではなかったので1年間仮面浪人をしました。

「こんな日々で良いのだろうか?」遊び続けた大学時代に訪れた転機

千葉

大学時代はどのように過ごされていたのでしょうか?

山田さん

年間の仮面浪人を経て志望の大学に入学をしたものの、そこから半年間毎日朝まで遊び惚けていました。バイトと遊びの繰り返しの日常でした。そのような日々のなか、自分の中で大きな事件が起きたんです。
10月31日、渋谷のハロウィンで友達10人ぐらいで飲んでいたのですが、皆が酔い潰れて乱れる光景を自分も酔い潰れながら目の当たりにして、「僕は 、こんなことをしていても本当にいいのか?いったい僕は何のために大学に入ったんだろう。」ってハッとさせられたんです。
その時に自分は何がしたいんだろうということを、酔い潰れた後の朝に真剣に考える時間があったんです。
その日をきっかけに大学生活の中でひとつ、心に残るようなことをしようと決めたんです。

千葉

このストーリーだけでも面白い!今までたくさんの方にキッカケインタビューでお話を聞いてきましたが、仕事上のできごとや人との出会いが起点となって人生が変わったというお話が多い中、渋谷のハロウィンで酔い潰れた後の朝に自分で気づきを得たというのは全く新鮮なお話です。その情景を思い浮かべると映画のワンシーンのようですね。

大学時代に心に残ることを。インターンで任された催事で過去最高の売り上げを記録。

山田さん

渋谷のハロウィンからまもなくして、アルバイト先のカルビープラスと言うカルビー株式会社のお土産事業の東京駅構内の店舗で僕が師として仰ぐ社員の方の異動が決まったタイミングがありました。
僕はこの方に仕事に関することや社会のこと、会社のことなどを教えていただいて、とても尊敬している方だったのですが、その方が異動してから店舗の売り上げが下がり始めたんです。その状況の中で僕は、その方から教えられたことが現場で実行されていないことを感じていて、自分で何かアクションを起こしたいと感じていました。そこで、部長や課長との飲み会の時に、なぜ今売り上げが上がっていないのかという自分なりの考察を思い切って伝えてみたんです。そうしたら部長が「山田くんがそう思うなら自分自身で現場で意見を言って、どんどんアクションに起こしてみたら?」と言ってくださったんです。
ちょうどその頃、秋葉原にカルビーの期間限定ショップをオープンする企画があって、「山田くん、やってみてよ。」と言っていただいて、企画から担当をすることになったんです。

千葉さん

ハロウィン明けの内省と決意からの変容がすごいスピードで起きたのですね。インターンの立場で催事をまるごと任されたこともすごいことですよね。それだけ会社が山田さんに可能性を感じたのでしょうね。

山田さん

1週間の催事に向けた企画、戦略、設営までを学生だけのチームでやるというプロジェクトだったのですが、この期間中は今でも自分の記憶に鮮明に残っているほど必死に努力をしました。
どうしたら催事の売り上げ目標を達成できるか、毎日のように師匠のところにアドバイスをもらいに行き、現場の販売スタッフにカルビーのメソッドを伝えるなど、必死にできることを全てやり尽くしました。その結果、1週間の催事でカルビー史上最高の売り上げを出すことができたんです。
この経験は僕の自信の礎として今でも生きてくれています。」

千葉

多くの人が下手をすると20代でも経験できないようなことを山田さんは19歳という若さで経験されたのですね。普通の会社に置き換えてみるとマネージャーを超えて事業部長レベルの仕事をされたと思います。師匠とも呼べる人との出会いと、自ら感じた意見を思い切ってぶつけてアクションを起こしたことなど、全てのことが大きなひとつのキッカケになったのですね。その催事の後はどのような流れで社会人になったのでしょうか?

僕はお風呂で面白いことをやります。師匠に宣言をしたインターンシップ最後の日

山田さん

最初の催事の後も定期的に催事を担当し、3年間で8回ほどの催事を企画、運営しました。そしてトータルで1億円以上の売り上げを作ることができたんです。学生時代の最後にはご褒美企画として、コラボレーション商品の企画にジョインさせていただいたんです。
有名ラーメン店とのコラボのポテトチップスを作らせていただいたのがカルビーの最後の思い出となりました。
そして、僕の学生時代とカルビーでのインターンシップが終わりを迎えたのですが、インターンシップの最終日にお世話になり続けてきた師匠と飲み明かしたんです。熱く語り合うなかで、「お前の夢はなんなんだ?」という師匠の問いに、「僕はお風呂で面白いことをやりたいです。」と答えたんです。その時の僕はお風呂ということに特別興味があったわけでもないのに、なぜかお風呂という言葉がパッと思い浮かんだんです。
そうしたら師匠に、「じゃあお風呂っていう言葉を世界共通語にするような活動をしてみろ。」って言われて。その時の僕は、師匠に認められたい一心で「僕はお風呂で面白いことをやります!」と宣言したんです。つながりも伝手も何もありませんでしたが、このことがきっかけになり、次の日からは全てを捨て去ってお風呂に対して100%のエネルギーで行動を起こしていきました。

千葉

突然降りてきた「お風呂」というキーワードを起点に次の日から全力で行動する。このエピソードというか、山田さんの行動力と意志へのコミット力にも驚きですが、山田さんはかなり純度の高い起業家精神をお持ちの方だなと感じました。そのあとはどのように行動をされていったのでしょうか?

山田さん

まずは世界にお風呂を広めるために、自分が世界のお風呂文化を知りに行かないといけないので、そのためには温浴というものを知る必要があると考えて、温浴を知るための世界の旅に出ました。残りの学生時間は様々な国のお風呂文化を見にいくための一人旅に費やしました。

在学中に一般社団法人Furobalshipを設立

千葉

世界に!圧巻の行動力ですね。その後はどのような活動をされたのでしょうか?

山田さん

その後はもう少し世界の温浴文化の研究を深めたくて、ドイツのサウナ文化やイタリアの温浴文化を自分で体験しながら研究したいと思い、日本文科省の留学制度を利用して留学をする予定だったのですが、コロナ禍に突入して行けなくなってしまったんです。そこで方向転換を迫られたのですが、起業をして自分のできることを少しずつやっていった方が面白いのではないかと思って、在学中に一般社団法人Furobalshipを立ち上げました。

とはいえ、何をやればいいのかという事業計画も結局ないまま始めたのが、実はのところでありまして。その頃は様々な失敗をしながらも多くの方に助けていただいて、本当に少しずつですが事業が成長をして、2~3名のメンバーが雇えるくらいになっていきました。

千葉

この時点で既に雇用も経験をされたのですね。起業をして誰かを雇用するにはそれなりの覚悟も必要だったと思いますが、どのような経緯でメンバーをアサインしたのでしょうか?

最初はカルビーでのインターンシップで一緒だった同志のメンバーに、新しいことをやるから一緒にやらないかと声をかけたらやりたいと言ってくれたんです。そこで周りの学生の子にも協力をしてもらったのです。お風呂を世界共通語にするという軸を持ちながらもその軸からずれたことをして、これで良いのかと悩んだりしたことも仲間と一緒に乗り越えていきました。

現在へと繋がる起点となった、バスリエ株式会社代表の松永武さんとの衝撃の出会い

千葉

ご自身で起業をされた山田さんですが、そこから時を経てサーマルクライムスタジオ富士の支配人としてご活躍されるようになった経緯をお聞かせください。

山田さん

今の僕の活動の起点となったのは、バスリエ株式会社代表取締役の松永武さんとの出会いでした。起業をしたばかりの頃の僕には人脈も何もなかったのでとりあえず全国の温浴業界の経営者に会いに行かないといけないなというふうに思いまして、北は北海道から南は中国地方の方まで様々な経営者の方に会いに行ったんです。その中でお会いした方から、「お風呂といえばこの人に会っておいた方が良いよ。」と紹介していただいたのが松永さんだったのです。
そこで松永さんの会社、まさに今僕が働いているバスリエ株式会社の本社に会いにいったんです。そこでお会いした松永さんの3時間に渡るお風呂の素晴らしさのお話に衝撃を受けたんです。それまで僕は様々な方にお会いする中で、どちらかというと自分のお風呂にかける想いを伝える側だったのですが、松永さんに関しては僕が話すスキが全く無かったんです。「この人、お風呂への愛が尋常じゃない。すごい人だな・・・」と圧倒されましたね。

千葉

松永さんというお風呂業界のキーマンに出会った衝撃が今に繋がるのですね。そこからすぐに一緒にお仕事をされる流れになったのですか?

山田さん

最初は、松永さんのお仕事を僕の法人でお手伝いさせていただいたり、暗中模索をしていた僕の夢を応援していただいたりしながら、半年に一度くらいのペースで温泉やサウナ旅をご一緒させていただきました。その中で、僕が立ち上げた法人では温浴施設のTikTokやSNS、ホームページ用のPR動画を作成して施設の魅力を広めるという事業をしていたのですが、自分のやりたい事とは何か違うという違和感を感じながらやっていたんです。

その中でサーマルクライムが2022年の3月にオープンを控えたタイミングで、松永さんからオープン前に招待をしていただいて行ったんです。そこで松永さんに色々なお風呂の入り方、サウナの入り方をガイドしていただきながら入った温浴体験が衝撃的で、「自分のやりたいことはこれだ!」と感じたんです。僕が本当にやりたいことは、体感を通じて温浴の魅力を広めていくことだと気がついたんです。
それで、自分の事業を辞めてサーマルクライムで働かせてくださいと松永さんに直談判をして働くことになったんです。それが2022年の4月、サーマルクライムスタジオ富士のオープンから1ヶ月後のことでした。

松永さんにとっては、オープンしたてでお客さんもまだ少ないなかで新しいスタッフを抱えるって、苦渋の決断だったと思いますが、あの時に本当に僕自身がやりたいことに気づかせていただいて、今こうしてサーマルクライムスタジオ富士を起点として、世界に温浴文化を広げていくというビジョンを共に掲げて活動をさせていただいていることに本当に感謝をしています。

千葉

きっと松永さんも山田さんの中に灯る情熱の炎に感銘を受けたのではないでしょうか。先日実際にサーマルクライムスタジオ富士にお邪魔をした際にお二人のお話を伺い、お二人には強固なチーム力を感じました。
それでは最後に、サーマルクライムスタジオ富士のご紹介とこれからのビジョンについてお話いただけますでしょうか?

“OFURO”を世界共通語にして、温浴から笑顔を作り出す。サーマルクライムスタジオ富士とこれからのビジョン

山田さん

サーマルクライムスタジオ富士の運営をしているバスリエ株式会社はお風呂グッズを販売している会社です。サーマルクライムスタジオ富士はお風呂グッズだけでは伝わらない温浴の魅力を体験を通じて広めていくために作られました。
サーマルクライムスタジオ富士はサウナ施設として認識していただいている事が多いのですが、他のサウナ施設とは大きく異なる点があります。当施設では熱の登山をテーマにしているので、登山のガイド、シェルパ役としてスタッフが温浴のガイドに入ります。スタッフがガイドに入りながらそれぞれのサウナの説明と、お勧めの順番の回り方などをご案内し、温浴の魅力を最大限に味わっていただくためのお手伝いをしております。

サーマルクライムに訪れて、ここで体験をした温浴の魅力を感じていただいた事を友人や世間に伝えたい、広げたいと思ってくださるお客様と共に黒船に乗って、“OFURO”を世界共通語にしていきたいと思っております。

松永さんと僕が一番やりたいことは、温浴から笑顔をつくり出すこと。これは松永さんと昔から描いているビジョンなのですが、ドラム缶風呂を持ち運びながら世界一周をして、例えばアフリカでお風呂に入ったことない方に温浴を体験していただきその笑顔を見るというような活動がしたいと思い、そこに向けて日々の活動を続けています。

千葉

僕も先日数名でサーマルクライムスタジオ富士にお邪魔をしたのですが、サウナ好きな僕にとっても温浴のフルコースというような体験がとても新鮮でしたし、サウナが苦手だったメンバーも温浴体験で価値観がガラッと変わったと感動をしていました。
温浴体験でたくさんの方を笑顔に導くサーマルクライムスタジオ富士には、自分の意志のチカラで行動を起こし続けてきた山田さんの圧巻の行動力が礎となっているのですね。
自分自身のコミットメントに真っ直ぐに向かう姿勢に僕もたくさんの学びをいただきました。山田さん、本日はありがとうございました!

RELATED

NEW

37 件