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衝動にも似た行動力で、「得意なこと」と「やりたいこと」二足の草鞋を履く

キッカケインタビュー

2023.10.18

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新卒で東京都庁へ入庁し、環境局の事務職員として4年間勤務。その後退職し、教員免許を取得して中学校や高校の非常勤講師、専任教諭を勤める。その一方で染織を学び、機織りの制作活動も実施。興味を持った方向へ突進していく行動力を持つ小西さんに、お話を伺いました。

「ヒトはキッカケがあれば必ず変われる」生き方・働き方を応援するキッカケインタビュー。
第21回目の今回は、中学校や高校で非常勤講師をしながら機織りの制作活動をしている小西慶子さんにお話を伺いました。

新卒で東京都庁へ入庁した小西さん。4年間勤務したあとは、教員免許を取得し中学校や高校で非常勤講師として働き始めます。興味を持ったものに対する行動力が凄まじく、教員として働きながら染織を学び、機織りの制作活動も進めてきました。小西さんが東京都庁職員から教員へキャリアチェンジした「キッカケ」や、機織りの制作活動について語っていただきました。
小西慶子さん

小西慶子さん

私立中学・高校の非常勤講師、機織り作家
新卒で東京都庁へ入庁し、環境局の事務職員として4年間勤務。その後退職し、教員免許取得のため2年間大学に通学。免許取得後は、私立中学校および高校で社会科を担当。教員2年目から、大学の通信課程で染織を学び始める。6年間非常勤講師や専任教諭を務めたあと、1年間休職し本格的に機織りを始める。現在は非常勤講師として勤務しながら、機織りの制作活動を行う。

東京都庁へ入庁し、人事や校庭芝生化係で事務を担当

千葉祐大(以下 千葉)

小西さん、本日はよろしくお願いいたします。小西さんは大学を卒業されたあと、どこからキャリアをスタートされたのでしょうか?

小西慶子さん(以下 小西さん)

よろしくお願いいたします。大学卒業後は、東京都庁に入庁しました。当時は若さゆえの青臭い考えを持っていて、お金儲けにあまり興味がなかったんです。社会を良くしたいという情熱があり、だったら役所に行こうと考えました。

千葉

なるほど。解決したい社会問題などがあったのでしょうか?

小西さん

子どもの頃から、環境問題に関心がありました。小学生の頃、森林の写真が破かれていくテレビCMを見て心を痛め、森林を守らなければと思ったんですよね。

千葉

実際に都庁に入られて、環境に関わる部署に配属されたのでしょうか?

小西さん

はい。環境局に配属されたので、晴れて環境に携わることになりました。しかし、環境局で環境に関わることをやるのは技術職員なんです。私は事務職員だったので、内部管理を担当していました。東京都庁には4年間勤務しましたが、そのうちの2年間は人事を担当し、環境局に勤務している約700名の職員の配置や給与などを管理していましたね。

千葉

都庁では環境局は小さめの規模なのかもしれませんが、民間の会社で考えると700名というのは大規模ですよね。2年間人事に携わった以外では、どのような業務をされていたのでしょうか。

小西さん

入庁1年目で、まず東京都内の自然公園を管轄する事務所で事務をしていました。その後人事へ行って、最後の1年間は校庭芝生化係というところにいたんです。名前のとおり、都内の小中学校の校庭を芝生にするために動く部署でした。小中学校は東京都ではなく市と区が管理しているので、営業のような形で学校や市役所、区役所を回っていましたね。

千葉

なるほど。東京都庁側から市や区にアプローチをするケースもあるのですね。参考になります。

全力で取り組んだ結果向いていないとわかり、都庁を辞め教育の道へ

千葉

夢が叶って東京都庁の環境局で4年間働かれたとのことですが、その後はどうされたのでしょうか。

小西さん

東京都庁で4年間働いてみて、私の特徴が活かせる職場ではないと感じたんです。大きい組織なので調整役を上手にこなすことが求められるんですが、それが私には向いていないなと。働いている毎日が、あまり輝いていないと感じていました。

最後の1年間で学校を回ったとき、小規模で人に対面する学校のほうが私には向いていると思ったんです。実際、大学時代に個別指導塾のアルバイトをしていたんですが、私に向いていると感じていました。でも、世界が狭そうだから教育系への就職はしなかったんですよね。一度別の世界を見たことで教育系が向いているんだと改めてわかり、東京都庁をスパッと辞めました。

千葉

学生時代に教育系に向いていると思っても、本当にそうなのかはわからない。行動したからこそわかるというのは、大事なことですよね。

小西さん

そうですね。かっこいいな、やってみたいなと思うことを全力でやってみて、結果的に違うなと判断すれば未練はありません。私に東京都庁勤務は向いていませんでしたが、やってみてよかったと思います。

仕組みを知れたのも、すごくよかったですね。大きい組織の人事にいたので、いろいろな事案が局同士の調整で決まっていく流れが見えました。調整はこうやって進んでいくんだな、新聞に載るのはこのタイミングなんだなとわかったので、満足です。

千葉

やらずに後悔すると何かしら尾を引いてしまうこともあるので、やり切れたと思えるのは素晴らしいですね。東京都庁を辞めたあとは、教育の道へ進まれたのでしょうか?

小西さん

正直、あまり次のビジョンが思い浮かんでいない状態のまま辞めたんですよね。東京都庁を辞めたのが26歳で、まだ守りに入る年齢じゃないと思ったことをよく覚えています。これからあと30年働くとして、今の環境のまま働き続けるのが嫌なら早めに行動したほうがいいよねと、スパッと辞めました。教員免許の取得は、直属の上司をはじめとする周りの方々に勧められたんです。辞めるなら何か肩書きを持っておいたほうがいいと言われて、仕方がないなという感じで免許取得のため大学に通い始めました。

千葉

今こうやってお話ししている印象ですが、小西さんは人が好きそうですし、教員に向いていらっしゃる気がします。

小西さん

そうだと思います。東京都庁は働き始めた頃から何か違うなと思いましたが、教員は辞めようと思うようなことがあっても続けられています。向いていることって、嫌なことがあっても続くんですよね。向いていることは頑張らず自然体でやれるから、無理する必要がない。コスパがいいとも言えますね。教員も始める前はあまり良い印象を持っていなかったんですが、今は楽しんでいます。

ストレスが溜まる日々のなかで美術に魅せられ、教員になってから染織を学ぶ

千葉

小西さんは教員をされながら染織も行っているそうですが、こちらはどのようなきっかけで始められたのでしょうか?

小西さん

東京都庁で働いていたとき、仕事が自分向きではなかったので結構ストレスが溜まっていたんです。そんなとき、六本木にある国立新美術館の展覧会を訪れて、なんて素敵な世界なんだ、こっちのほうが楽しそうだと思いました。

とても楽しそうだという強烈な印象を抱えながら東京都庁を辞めたものの、私は高校時代に美術の成績が悪くて、絵が下手なのがコンプレックスだったんです。でもやりたいな、どうしようと教員免許を取りながらぐちゃぐちゃと悩んでいました。

そして、教員になると決まったあともまだ自分のなかで納得できていなかったので、展覧会のミュージアムショップでアルバイトを始めたんです。そこからアート系の方々に関わるようになり、やっぱり自分もやってみたいと思いました。そこで美術系の大学の通信課程を見つけて、挑戦しようと決めました。

はじめは洋画や日本画をやろうとしていたんですが、説明会に行ったときの印象で染織をやってみたいと思ったんです。本当に直感で、とりあえず染織のコースに飛び込んでみました。

千葉

おもしろいですね。美術館で展示されている世界に魅力を感じて、そこから自分でもやってみようとアートの世界に飛び込まれたのが素晴らしいです。

小西さん

美術館は、理屈で考えない世界が良かったですね。感性でいこうよという世界に、私も飛び込みたいと思いました。

千葉

通信課程を始められたのは、いつ頃のことでしょうか?

小西さん

教員になって2年目ですね。仕事がわかるようになり、1番忙しいときに始めてしまいました。しっかりと染織に向き合える時間が取れたのは、長期休暇くらいでしたね。

マイノリティでも、別の仕事や複数の学校を経験したほうがいい

千葉

教員になってからは、ずっと非常勤講師として働かれていたのでしょうか?

小西さん

まずは非常勤講師として、いろいろな学校で働きました。大きな目標を持ち、一生勤めるつもりで入った1つ目の職場を辞めたのが私のなかでは大きかったので、次は自分に合う職場を選びたかったんです。私は実際に入ってみないと自分に向いている職場かどうかわからないので、いろいろな学校に行ってみようと考え、1年に2〜3校で働きました。共学だけでなく、男女別学にも女子校にも行きました。とにかく、違う環境を見たかったんですよね。

千葉

長く働きたいからこそ非常勤を選ぶのはユニークな考え方だと思いますが、理にかなっていますよね。

小西さん

そうですね。私は自分が違うと思ったら我慢できないタイプなんですが、私が違うと思ってもその組織の論理はあるじゃないですか。学校は校風によって論理が全然違うので、いろいろ経験しながら自分を馴染ませていきました。

1個の学校でしか働いていなければ、考えが固まってしまうこともあると思うんです。例えば校則が厳しすぎる学校に行って、やはり校則は緩いほうがいいと思ったとします。でも、次に校則が緩い学校へ行くと目上の先生に対する生徒の発言がひどくて、校則が緩いのもどうかなと思い始めます。そのように異なる環境を比較できるのは、自分にとって良かったですね。

千葉

なるほど。僕も子どもがいるので学校についてよく考えますが、正直なところどの学年にどのような子どもがいてどんな先生が教えてくれるかは選べないじゃないですか。そのなかで、できれば学校しか知らない先生よりも一度社会を経験した先生のほうがいいと思うこともありますね。

小西さん

わかります。私も新卒で私立の教員になった子には、他の仕事をしなくてもいいけど、少なくとも別の学校には1回行ったほうがいいと伝えています。私立の教員のキャリアは1校目にずっといるのがマジョリティなので何校も選ぶのはマイノリティになっていますが、それだと生きにくいと思うんです。私もどの学校へ行っても「何この人」みたいな感じで見られてしまうので気軽に勧められないんですが、複数の学校で働くキャリアがもっと増えるといいなと思います。

セーブして教員を続けながら染織をするのが、自分に合った働き方

千葉

教員を始められてから、働き方を変えたいと思ったことはありませんでしたか?

小西さん

非常勤講師として4年間働いて、非常勤講師と専任教諭の仕事の範囲が違うのが気になり、専任教諭もやってみたんです。2年間やってみて、続けるのはしんどそうだと思いました。そして、非常勤と専任で働きながら通信課程で染織を学んでいたため、割といっぱいいっぱいになってしまったんです。教員として働くのは楽しいんですが同時にストレスもついてくるので、少し休憩しようと思い1年間休職しました。

休職中に機織り機と糸を買い、染織に集中しました。機織りでは伝統を大切にする方が多いですが、私は自分の好きなようにやりたかったので、とにかく自分の思うことだけをやろうと思い制作に取り組みましたね。何ができるんだろうという不安でいっぱいの1年でした。

千葉

やりたいことをやっていらっしゃるのが、本当にすごいですね。休職を終えた今も、制作活動は続けられているのですよね?

小西さん

そうですね。機織りを始めた頃に神戸へ引っ越し、近所の学校で非常勤講師をやりながら今も機織りを続けています。学校の仕事はかなりセーブして、両輪のような形で行っていますね。

千葉

得意なことと好きなことを両方ともやる働き方は、素晴らしいと思います。そうしたいけれど踏み出せずに悩んでいる方もたくさんいると思うので、参考になりますね。

小西さん

ありがとうございます。これまでの社会人人生全体を通して徐々に軌道修正しながら、やっと自分が1番楽な働き方になってきたと思っています。キャリアも私は行政から始まりましたが、それは私のルートであって他の方にとっても正解というわけではありません。最後に行政でもいいと思うし、本当に本人次第で何でもありだと思います。

千葉

素敵なメッセージをありがとうございます。興味があることに勢いよくチャレンジする小西さんの姿が、今後挑戦しようと考えている方の背中を押すのではないかと思いました。小西さん、本日は貴重なお話をありがとうございました。

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