「ヒトはキッカケがあれば必ず変われる」生き方・働き方を応援するキッカケインタビュー。
第22回目の今回は、パラレルワーカーとしてさまざまな仕事に携わる中平麗華さんにお話を伺いました。
新卒でコンサルティングファームに就職し、忙しい日々を送っていた中平さん。逆算思考が強かった20代は目標達成のために動き、韓国滞在や百貨店就職を経て独立しました。現在は思考の変化を感じながら、幅広い仕事に携わっています。20代で独立を決意した「キッカケ」や、思考が大きく変わったタイミングについて語っていただきました。
千葉祐大(以下 千葉)
中平さん、本日はよろしくお願いいたします。中平さんは2013年に新卒でコンサルティングファームに入社されたと伺いましたが、就職先を決めたきっかけを教えていただけますか?
中平麗華さん(以下、中平さん)
よろしくお願いいたします。実は私、入社したコンサルティングファーム1社しか受けなかったんです。周りが就職活動をしているとき、私は海外の大学院へ行ってMBAを取得したいと考えて勉強していました。しかしある日、MBA取得後にやりたいことを考えたとき、コンサルティング業界に入りたいと思ったんです。
MBAはどちらかというと職務経験を積んでから取得するものなので、順番が逆だと気づいたんですよね。そこで、大学4年生でほとんど選考も終わっているゴールデンウィークの時期に就活を始めて、応募した1社に受かったのでそちらに就職しました。
千葉
おもしろい。なかなかないパターンですよね。コンサルティング業界に入りたいと思った理由も教えてください。
中平さん
学生時代から、ビジネスがとても好きだったんです。経営学やブランディングを学ぶ授業も、バイト先のカフェで売上を上げる工夫をするのも好きでした。そこで、MBAを取得すればもっと学べるんじゃないかと考えたんですよね。
千葉
ありがとうございます。実際にコンサルティングファームに入社されて、いかがでしたか?
中平さん
記憶が飛びそうなほど忙しい2年間を過ごしましたね。約20カ国への海外拠点展開を進めるグローバルプロジェクトに配属されたんですが、関わる国の数が多いと、時差の影響で長時間働くことになるんです。今は働き方改革が進んでいると思いますが、当時は最も忙しいときで朝7時に帰宅し、10時に出社する生活をしていました。
もうこれ以上働くことはないだろうというくらい働いたので、メンタルも体力も鍛えられました。10年ほど経っていますが、当時の忙しさを超えることはありません。耐性が作られたという意味では、経験してよかったと思っています。
千葉
すごい経験をされていますね。本当に忙しい2年間を過ごされたと思いますが、どのようなきっかけで次に動き出そうと思われたのでしょうか?
中平さん
新卒時に絶対行きたいと思っていた部署があったのですが、希望とはかけ離れた財務系の部署に配属されたんです。実際に働いてみてからも得意な領域ではないと感じていたので、大事なことを学んで2年間で辞めると決めていました。2年間働けばどこの会社でも必要になる財務の知識が身につくだろうと考え、2年間頑張ってから予定どおり退職しました。
千葉
すごく明確に将来設計をされていますよね。もともと論理的思考があったのでしょうか?
中平さん
20代の頃は、かなり逆算思考で動いていました。何歳までにこれを実現したいから今これをやると、明確に決めて行動していましたね。
千葉
1社目を退職後、すぐ2社目に転職されたのでしょうか?
中平さん
いいえ。退職後は留学したいと考えていたので、半年韓国、半年フランスに行こうとしていました。ただし、出発前にお声がけいただき、関西の百貨店で働くことが決まったんです。そこで、3か月間だけ韓国へ行き、帰国後から2社目で働き始めました。
その百貨店はちょうど初めて海外進出するタイミングで、私が前職で携わっていた内容や語学が活かせそうだったので、お声がけいただいて入社した形です。
千葉
即戦力としてスカウトされたのですね。ということは、2社目でも忙しく働かれたのでしょうか?
中平さん
それが、2社目はとてもゆったりとしたペースで働くことになったんです。大きな組織でさまざまな事情があったようで、入社後はとりあえず別の部署で待機してほしいと伝えられました。そのとき、ブランディングとマーケティングに携わったんです。海外のブランドを日本で販売するときのライセンスや日本でのブランディング、商品開発などを行っていました。
予定とは大きく異なる部署に配属されましたが、ブランディングやマーケティングのベースを学べて独立してからの仕事にも活かせているので、結果的に良かったですね。
千葉
最初に海外の大学院でMBAを取得したいと思っていたことからも、ビジネスやマーケティングの根幹を学びたい想いがありましたもんね。
中平さん
そうなんですよね。ずっと何がやりたいのかわからない人生だったんですが、振り返ってみると好きなことは変わっていないんです。何回考えても結局そこに戻ってくるので、何がやりたいか明確にわからなくても自分なりのキーワードだけは持っておくことが大事だと思います。アンテナを張っておけば、引き寄せられるものがある気がしますね。
千葉
2社目の百貨店は、約1年ほどで退職されているのですね。このきっかけについて、教えてください。
中平さん
2社目を辞めたのは、自分の人生の転機となった出来事があったからです。2社目で働いているとき、祖父が亡くなりました。祖父は好きな仕事を自分で開拓していた方だったので、最後に会ったときにも「仕事は楽しいか」と聞かれました。そこで、私は楽しいと即答できなかったんです。
結局それが最後の会話になってしまい、電話で祖父が亡くなった報告を聞きながら「私はなんでおじいちゃんに誇れるような働き方ができていないんだろう」と考えました。とりあえずこのまま働いていたらだめだ、タイミングや周りの人を言い訳にしているけれど結局選択しているのは自分だから、こんな気持ちになるくらいならもっと自分で選択していこうと強く思ったんです。その翌週には、辞めると伝えましたね。
千葉
ありがとうございます。そこで転職ではなく、独立を選ばれたのですね。
中平さん
はい。1社目はとても忙しく、2社目はかなり時間が余ったんですよね。両極端を経験して、自分にとってちょうどいい働き方のペースが見つからないと思ったので、自分のペースで働ける状態を自分で作ろうと考えて独立しました。
2社目で働いているときに結構時間があったので、アウトソーシングのプラットフォームを活用して仕事を受け、独立準備をしていました。やりたかったことではなかったんですが、語学を勉強していたため通訳ができたので、まず実績を作ろうと思いいろいろな企業の通訳をしたんです。
千葉
なるほど。まずはご自身の強みを活かして、独立してからも仕事をされていたのですね。
中平さん
そうなんです。私はフリーランスになったらいろいろな仕事をしたい、最終的にはマーケティングやコンサルティングをしたいと考えていました。ただ、独立したての25歳がノウハウも知識も持っているわけではないので、まずは自分の強みを活かした通訳の仕事をこなしていたんです。
通訳の仕事では社長さんと話す機会が多いので、「普段はマーケティングの仕事をしています」と言い続けました。その結果、独立2〜3年目には通訳からマーケティングに仕事が転換していったんです。
千葉
最終的にマーケティングに携わりたいという目標を持ち、そこから逆算思考で通訳の仕事から始めて、きちんとゴールに辿り着いたのは素晴らしいですね。その後、仕事の幅が広がったきっかけがあれば教えてください。
中平さん
3〜4年前に、ある程度目標が達成できて先の目標がなくなりました。それまでは逆算思考で動いていたので、これから何を目指せばいいんだろうとメンタルが落ちたんです。そこで1年間海外へ行ってリセットしようと考えたんですが、新型コロナウイルス流行で叶いませんでした。
そのようなときに改めて考えてみると、マーケティングで会社の商品を伸ばしていく一方、自分で作った商品を自分で伸ばしたらもっと楽しいかもしれないと以前から思っていたことに気づきました。目標がなくなった今、それをやるべきじゃないかと考え、自分の商品を作るために動き出したんです。結果的に事業は売却しましたが、他の仕事と並行して3年ほどやっていました。
千葉
また知らなかったエピソードが出てきました。目標がなくなったこの頃に、逆算思考から考え方が変わった形でしょうか。
中平さん
そうですね。いろいろな人に目標がないと相談したところ、「一旦目標を置かなくてもいいんじゃないか」と言われました。そこで、目の前の仕事だけに集中して、あとはご縁に乗っかりながらやりたいことをやってみようという考えにシフトしたんです。結構後先考えずにやってみようと決めました。
「自分はこうだから」と知りすぎているがゆえに思考がガチガチになっていることもあるので、年齢を重ねた段階で一度それを崩してまた作り上げていくフェーズが必要なんだと思います。
千葉
それまでのご自身の考えを大きく変えるのは勇気がいることだったと思いますが、きちんと実行に移されていて素晴らしいですね。自分で商品を作ろうと決めて、何を作られたのでしょうか?
中平さん
フラワーティーという、ノンカフェインのお茶を作りました。中国では「花茶」という名前で当たり前に飲まれていますが、日本にはあまりないんですよね。目標を失って落ち込んでいた日にふと入ったお店で見つけたフルーツティーを飲んだら、ホッとしていろいろなことがどうでもよくなったんです。それまでも作りたい商品の候補をリストアップしていましたが、そのエピソードもあってお茶に関する商品を作ろうと決めました。
千葉
なるほど。現在は中平さん自身で販売されているわけではないのですよね?
中平さん
そうですね。作って完売もしましたが、一通りやった結果、私は売るほうをメインにしたいと感じたんです。仕入れをしてデザインを頼み、在庫管理をして保健所に行ってと大半の業務を自分でやってみたんですが、私は売ることに専念していろいろな人を手伝いたいと気づき、譲渡を決意しました。今まで自分が目指してきたものでも、1回やってみたらそこまで合っていなかったとわかったので、またリセットした形です。
千葉
自分はこれが好きとか本当はこれがやりたいと感じていることでも、体験しないと本当に合っているか気づけないですよね。
中平さん
そうなんですよね。私は昔から、動き出したらそれで半分成功だと思っています。いろいろ考えてから始めようとすると時間がかかるので、勢いに乗ってとりあえず始めて、違ったらやめればいい。自分に合わないことは、ミスではないと思うんですよね。合わないと気づけたというプラスのほうが大きいので、とりあえずやってみるのを徹底するのが良いと考えています。
中平さん
現在は、主に3つの仕事をしています。1つ目がマーケティングの顧問で、会社や行政に入ってマーケティングPRを見直すこと。2つ目が、企業の研修講師。3つ目が、会社や行政の新規事業をまとめるプロジェクトマネジメントです。
2年前から「SETA COLOR」という、世田谷に拠点を置く事業者を補助金や専門家、ネットワークでサポートするプログラムの運営に携わっています。去年からは「ネイバースクールSETAGAYA」といって、これから起業したい方や事業をもっと伸ばしたい方に対するスクール事業インキュベーションプログラムにも関わっています。
何気なくお茶を作って売却した経験は、ビジネスアイデアがないけど事業がしたいという方々の相談に乗る際に活きています。自分のなかでは実際やってみたら違ったという経験でしたが、意外と人の役に立つんだと実感しているところですね。
千葉
かなり幅広く取り組まれていますよね。世田谷関係のプログラムに関わるようになったきっかけは、何だったのでしょうか?
中平さん
フリーランスになって収入が安定してきたとき、渋谷付近での活動が多かったので渋谷で賃貸を借りようと思ったんです。でも、フリーランスは無理だと審査に落とされてしまって。自分としてはやっと目指してきた働き方に辿り着いたのに、社会的には評価されないんだと落胆しました。結局、そのときひと駅隣にある世田谷区の池尻大橋に住むことになったんです。
その後、現在SETA COLORをやっているメンバーの方に「池尻大橋に住んでいたなら、一緒に世田谷のプログラムをやらない?」と誘われました。審査に落ちたのは地獄の経験でしたが、それがなかったら今楽しんでいるお仕事にはつながっていません。私のキャリアは振り返るとドンって落ちるタイミングがあったんですが、それは絶対に次へのきっかけにつながってきたんですよね。だから今では、落ちたときこそ次につながる新しいチャンスだと、少し前向きに考えられるようになりました。
千葉
目の前に集中しているからこそ、人とのご縁で仕事につながることもありますよね。今回は会社員からフリーランスへ、そして逆算思考から目の前への集中とキャリアのなかで大きな転換をしてきた中平さんのお話を伺いました。読者の方にとっても、学びが多かったのではないかと思います。中平さん、本日はありがとうございました。
新卒でコンサルティングファームに入社し、2年間勤務。その後3か月間韓国に滞在し、帰国後関西の百貨店に就職してブランディングやマーケティングに携わる。約1年間勤務したのち独立し、通訳で実績を積みながらマーケティングや戦略コンサルティングを実施。パラレルワーカーとして、自分らしいキャリアを開拓中。