メガバンク在籍14年を経て育休を機に独立起業
新卒で入社をしたメガバンクを2021年に退社。現在はお金のリテラシーを上げる家庭教師として、個人の資産形成サポートやお金との付き合い方、向き合い方のサポートでご活躍中の肥田智宣(ひだ とものり)さんにキャリアストーリーをインタビューさせて頂きました。
「ヒトはキッカケがあれば必ず変われる」生き方・働き方を応援するキッカケインタビュー。
第二回目の今回は、新卒で入社をしたメガバンクを2021年に退社。現在はお金のリテラシーを上げる家庭教師として、個人の資産形成サポートやお金との付き合い方、向き合い方のサポートでご活躍中の肥田智宣(ひだ とものり)さんにキャリアストーリーをインタビューさせて頂きました。
将来のお金に対する漠然とした不安から銀行への就職を決意
千葉祐大(以下 千葉)
肥田さん、よろしくお願いいたします。まずは長年お勤めされたメガバンクですが、新卒で銀行への就職を決められたきっかけについてお話ください。
肥田智則さん(以下 肥田さん)
よろしくお願いします。僕が2008年にメガバンクに新卒入社をしたきっかけは、学生時代から抱いていた漠然とした将来のお金に対する不安でした。
学生時代は法学部で経済に関する学部ではなかったのですが、大学4年生の一番最後の講義で資産形成の手段や投資信託について学んだんです。そこで、「お金を銀行に預けておくだけでは増えないけれども、うまく資産運用していけば増やすこともできるんだ」と知り、自分自身が抱いている将来の資産形成への不安を拭されるのではないかと考え、資産運用に携わる就職先を探し始めました。そして、銀行のなかの個人の資産の形成をする部署の個人営業職に内定をいただいて就職をしました。
千葉
2008年というとリーマンショックの時代ですよね。
肥田さん
そうなんです。僕が入社したのが2008年の4月で、リーマンショックが起きたのが同年9月。新卒研修が終わるのとほぼ同時にリーマンショックが起きて、営業どころではなくなってしまいました。僕の最初の仕事は先輩達が前年度までに売ってきた投資信託が暴落してしまったことに対するクレーム処理でしたね。クレーム処理をしながら先輩に同行してフォローを繰り返す、そんな日々を送っていました。
千葉
そのような日々のなか、アフターフォローばかりで本来の自分の仕事をなかなかスタートできずに辛かったのではないでしょうか?
肥田さん
世間的には窮地に追い込まれた時代でしたが、僕個人としては当時の経験をプラスに捉えているんです。リーマンショックのような金融危機は10年経験してもあるかないかというレベルのものなので、僕の社会人1年目はとても濃度の高い経験になりました。どのようにしたら経済が回復して行くのかというロジックを勉強したり、先輩やお客様にも怒られながら学んだ事がたくさんあったので、辛かったけれども僕自身にとってはプラスになった経験でした。
千葉
過去の話とは言え、そのように捉えられている肥田さんは素晴らしいと思います。
それでは、キャリアを積み上げていくなかで自分自身の方向性を感じることになった転機がどのように訪れたのかをお話しください。
未来のキャリアチェンジを考え始めたキッカケ
肥田さん
入社3年目くらいの時に、背中に瘤のようなものができて手術のために2ヶ月ほど入院をしたんです。
退院して職場復帰した後も、血が出てる傷口にシップを貼りながら根性で営業活動を続けていましたが、限界を感じて会社と相談をした上で内勤の多い部署に異動をしました。でも、元の第一線に復帰するには今まで以上に業績をあげないと戻れないというような暗黙のルールがあって、それを乗り越えて営業に戻ったとしても課せられたノルマ達成を何度繰り返しても結局翌月からはゼロベースで一からやり直し。そしてノルマ達成のために売りたくもない商品を売らなければならないという現実は僕自身にとってもお客様にとっても幸せなことに感じられなかったんです。
それまでの僕は新卒で本店に配属をされて、そのまま普通にキャリアを積んでいけば安定した収入と将来が待っていると考えていましたし、天狗にもなっていたと思います。今思えばこのことは僕に対する「それは違うよ」という神様からのギフト、メッセージだったのかなと捉えています。
千葉
ありがとうございます。ドラマの半沢直樹を彷彿させるような世界観ですね。お身体のことがきっかけでキャリアについて冷静に立ち止まって考える機会があったわけですが、その時は転職という選択をせずにその後も10年ほど同じ会社でキャリアを積まれた背景にはどのような意図がおありだったのですか?
肥田さん
その当時の僕に実力があれば独立を考えていたとは思いますが、まだ自身もなく、経験も浅かったのでその時の自分のスキルを生かすとなると違う銀行や証券会社、保険会社など、構造が同じ金融業界内での転職となり、どこへ行っても同じだろうなと考えたんです。既に結婚をして家庭を持っていたということもあり、家族を守るという意味で、営業の第一線ではなく本部のバックオフィスで収入を維持しながらキャリアを積んでいこうと考えました。
千葉
バックオフィスではどのような業務を担当されていたのですか?
肥田さん
本部のバックオフィスでは、営業活動におけるコンプライアンスが遵守されているかということをチェックする業務を担当していました。僕としては肌に合っていた業務だったのですが、ずっと居られるような部署ではなかったんです。
銀行というところは先ほど千葉さんがおっしゃられたように、半沢直樹のような世界なんです。同僚同士なのに梯子をはずされることもあれば、自分で作り出した仕事を上司に潰されるなど、新しいものを創ろうとする勢力に対して徹底的に潰しにかかってくるんです。
千葉
半沢直樹はドラマならではの脚色かと思っていましたが、結構リアルに描かれていたのですね。
肥田さん
そうなんです。当時31歳くらいだったと思いますが、バックオフィス業務を担当してから数年が経過して20名ほどの部下を統括する立場になりました。しかしながら新しいものを創っても創って潰されるということを繰り返していくうちに、再び体調を崩したんです。倒れて人生で初めて救急車で搬送されたのですが、その時に人はストレスで死ぬんだなという事を一歩手前で実感し、「もう僕はここにいるべきじゃない。」と感じて外の世界に視野を向け始めたんです。長女が生まれたこともあって、この先も今の状況を続けていくことはできないと思ったんです。
そこからは独立できるだけのスキルを自分自身に身につけるために銀行での仕事は最低限のラインを維持しながら、独立に向けた自分のキャリア形成に取り掛りました。
千葉
具体的にはどのようなアクションを起こされたのでしょうか?
肥田さん
金融業界の外の世界での独立をイメージして、集客やライティング、マーケティングなどを学び始めました。独立してもお客様が来なければ商売にならないので、そのための基礎体力となる部分を学び始めました。
千葉
本業にさらに何かをプラスするというわけではなく、全く新しいところをイチから学ぶことにはある種の勇気のようなものが必要に思えますが、そこには抵抗を感じませんでしたか?
肥田さん
リーマンショックの年に入社したときもそうだったのですが、僕は知らなかったものに対して、それがどういうロジックや原理で成り立っているのかということを深掘りして学んでいくことが好きなんです。興味が沸いた事に対してはどんどん時間もお金も割いて学びのアクションを起こしていきたいというのが、僕の行動特性上の強みなんです。
この頃から残業の多くない部署に自ら手をあげて所属して、学びの活動をスタートしました。自分が体を壊した経験からフィジカル面を強化することの重要性を感じてパーソナルトレーナを養成するスクールに通ったり、栄養学を学ぶなど、本業も独立に向けた活動もじっくりと取り組む日々を積み重ねていきました。
千葉
ありがとうございます。その中でご自身設定されていた独立のラインと言いますか、何歳になったらとか、スキルがここまで到達したら独立しようという基準などはあったのでしょうか?
「独立するなら今しかない。」育休取得から独立へ
肥田さん
本業以外がライスワークになるラインに到達したらいつでも辞めてやろうとは思っていましたが、頭の中ではぼんやりと2人目の子供が生まれたら育休を取得して、その時間を独立に向けて投下して、一気に足場を固めて独立をしようと考えていたんです。そこで、僕のなかではもう半分会社には戻らないという前提のもと2人目の出産のタイミングで育休を取得しました。実際の育休中は大変でそれどころではなかったのですが、育休が終わってまた会社に戻ったら踏ん切りがつかないまま時間が経過してしまうのではないかと思い、独立するならもう今しかないと思ったんです。育休取得で会社を離れたことが僕の背中を押してくれたと思っています。
散々できることはやってきたし、もうあとは自分の腹をくくるだけだ。そう考えて独立をしました。
千葉
育休で会社を離れた事が独立へ向けて背中を押してくれたのですね。ただ、一般的な質問になるかもしれませんが、2人目のお子さんが生まれたタイミングでメガバンクという安定した居場所を手放すということに対して夫婦間で意見の対立などは起きなかったのでしょうか?
肥田さん
実はそれは全然無かったんです。僕の妻は実家が自営業ということもあり、独立して自分で仕事をしていくということに理解があって、心から応援してくれたんです。もちろん、独立当初は不安定なので妻の力を借りなければいけないという側面も出てきますし、今もまだ独立から1年目なのでそわそわしながら走っているということもありますが、妻は全般的に応援してくれています。
千葉
すばらしいパートナーシップですね。僕はあまり好きな言葉ではないですが、スタートアップ界隈では"嫁ブロック"という言葉も頻繁に聞くので、パートナーとコミュニケーションをしっかり取ってお互いの人生を応援しあえる関係を築かれているということは本当に素敵だなと思います。
昨年育休を取得して、今は独立されている肥田さんですが、今は率直にどのようなお気持ちで日々を過ごされていますか?
肥田さん
今はだいぶ落ち着いてきていますが、独立当初は決まった日にお給料が入ってくるわけでもなく、翌月の売り上げが立つかどうかもわからない状況のなか、このままで大丈夫なのかなと思うこともありました。でも、これは独立というアクションに一歩踏み出したから出てくるリアルな当事者意識で、飛び込んでみなければ実感できなかったことなので、良い時もあれば悪い時もあるという波をひとつひとつ経験しながら日々学んでいます。
お金の次元を上げ、自分で選んだ人生の主人公として生きていく
千葉
これから独立を考えている方にとって、とても勇気のあるストーリーをありがとうございます。
それでは最後に、今の肥田さんの活動のご紹介や皆さんへのメッセージをお願いします。
肥田さん
今は「お金のリテラシーを上げる家庭教師」として活動をしております。この活動の根源は、冒頭でお話をした学生時代から抱いていた”将来のお金に対する漠然とした不安”にあります。僕のやるべき仕事という事を考えた時に、やはり「お金」ということがメインテーマだったのだと気づいたんです。人生の中でお金に関するテーマは大きな割合を占める部分だからこそ、その不安ときちんと向き合って解消していくということは、自分で選び取った人生の主人公になって生きていく上で本当に大切なことだと思います。
僕はもう金融機関の人間ではないので直接的に一定の金融商品をおすすめしたりアドバイスをするということはしませんが、中立的な立場でお金に関することとちゃんと向き合って考えていくためのサポートをしています。
金融商品ありきだとどうしてもその商品に向けたプレゼンテーションになってしまいますが、そうではなくてお金に対する向き合い方、付き合い方、考え方など、お金というものの次元をあげていくための家庭教師ですね。お金に対する漠然とした不安を解消して、その人がその人らしく人生を構築していくステージを一緒に創っていきたいと思っています。今は個人の方向けのサポートがメインですが、将来的には企業さん向けの研修なども行っていきたいと思っております。
千葉
自分が主人公の人生を生きる、まさに僕たちこどもの未来で大切にしている考え方です。今後の肥田さんのご活躍を楽しみにしております。
お金のリテラシーを上げる家庭教師
肥田 智宣(ひだとものり) さん
メガバンク在籍経験14年。個人資産設計営業・コンプライアンス部門在籍。
FP・宅建・証券外務員などの資格を取得。育休取得を機に退職し、独立起業。
現在はお金のリテラシーを上げる家庭教師として活躍中。