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大企業→ベンチャーのキャリアを掛け算に

キッカケインタビュー

2023.05.18

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新卒で大手タカラトミーに入社したのちに、ITベンチャー企業のSpeeeにジョインして80人規模のミドルベンチャーから500名以上のメガベンチャーへのグロースと上場を経験。その後、スタートアップの1号社員・執行役員CMOのキャリアを経て現在は、住友商社系列であるALPHABOAT(アルファボード)社にゼネラルマネジャーとして転職。大手・ミドルベンチャー・メガベンチャー・ドベンチャーを全て経験した藤田さんのお話をお伺いしました。

「ヒトはキッカケがあれば必ず変われる」生き方・働き方を応援するキッカケインタビュー。
第三回目の今回は、新卒で大手タカラトミーに入社したのちに、ITベンチャー企業のSpeeeにジョインして80人規模のミドルベンチャーから500名以上のメガベンチャーへのグロースと上場を経験。その後、スタートアップの1号社員・執行役員CMOのキャリアを経て現在は、住友商社系列であるALPHABOAT(アルファボード)社にゼネラルマネジャーとして転職。大手・ミドルベンチャー・メガベンチャー・ドベンチャーを全て経験した藤田さんのお話をお伺いしました。
藤田 理さん

藤田 理さん

-プロフィール-
SCデジタルメディア株式会社
ALPHABOAT GM (ゼネラルマネージャ)
藤田 理(ふじたおさむ)さん

2007年、株式会社タカラトミーに新卒入社。ベイブレードやデュエル・マスターズなどの商材の法人営業や人生ゲーム・黒ひげ危機一発・ファービーの販売計画に携わる。その後、ITベンチャー企業のSpeeeにジョインし、マネージャーとして80人のミドルベンチャーから500人以上のメガベンチャーへのグロースと上場を経験。営業マネージャーとしてネイティブアドネットワークUZOUの立ち上げに参画。株式会社なんでもドラフトの社員1号・執行役員CMOのキャリアを経て、2022年、ブランドプロデュースユニットのゼネラルマネジャーとしてALPHABOATに入社。

新卒社員の中で唯一の営業志望者だったファーストキャリア。

千葉祐大(以下 千葉):

藤田さん、よろしくお願いします。早速ですが、藤田さんのキャリアの出発点でもある株式会社タカラトミーでのエピソードからお話ししていただこうと思います。タカラトミーと言えば誰もが知る大手の玩具メーカーさんですよね。今の40代前後は就職氷河期と言われる時期に就職活動をしていた世代ですが、その中でも藤田さんはかなり狭き門をくぐり抜けたのではないでしょうか?

藤田理さん(以下藤田さん):

こちらこそよろしくお願いします。そうですね、これは当時の人事の方からこっそりと教えていただいたことなのですが、当初は数千名の学生がエントリーをして、15名が内定をもらえるという世界でした。

千葉:

気が遠くなる確率ですね。その中で藤田さんはどのポジションを志望されたのですか?

藤田さん:

実は僕はとても珍しいタイプだったんです。15名の内定者のうち、14名がマーケティングか企画開発志望で入社をしたのに対して、僕一人だけが営業志望だったんですよ(笑)本当に珍しがられました。

営業というと新規営業やルート営業など、さまざまな営業の形がありますが、タカラトミーはルート営業なんです。皆さんがご存知のようにタカラトミーの製品はトイザらスやイトーヨーカドー、Amazonなどさまざまなお店で販売されていますが、実際に販売店に対して営業をするのではなく、問屋さんに対してプレゼンテーションをして営業をするというのがタカラトミーのメインの営業になります。しかし、僕はこのメインであるルート営業に配属されなかったんですよ。

千葉:

新卒入社で営業希望と言えば最初はオーソドックスな営業に配属されると思いきや・・・まさか別の部署に配属されたんですか?

藤田さん:

営業は営業なのですが、営業推進部という部署に配属されたんです。タカラトミーでは若手で営業を希望する人は滅多にいないので、新卒社員の中で唯一営業を志望した僕は「珍しいやつ」でした。そこで、いきなり営業のエースが集まるような営業推進部にいきなり配属されたんです。
当時は町の玩具店が減少し、既存の流通における売り上げが伸び悩んでいました。そこで、新たなチャネル開拓のためにコンビニエンスストアに白羽の矢が立ったんです。コンビニは店舗数が伸びていたんですよ。
皆さんもコンビニでカードゲームやトミカなどのおもちゃを見かけることも多いと思いますが、その流れを企画をして先輩方とともにガンガン推進していったんです。
通常、おもちゃというものは企画が立ち上がってから商品が取り扱い店舗に出ていくまでには半年から1年ほどかかるんです。しかし、僕らが相手先としていたコンビニというものは1日あたりの売り上げを重要視する、月や年単位ではなくて時間単位で売り上げを見ていく非常にスピード感のあるビジネスなんです。だから、従来のおもちゃの流通ビジネスとは全く異なる時間軸の中で物事がスピーディーに変化していく事をリアルに経験させていただいたのはとても面白い経験でした。

千葉:

新卒社員の中で唯一営業を志望したというのも面白いですが、最初のキャリアでいきなりコンビニで当たり前のようにおもちゃが買えるという環境というか、文化を創っていったというのがとても面白いし、インパクトがありますね。
最初からとても充実したキャリアがスタートした藤田さんですが、6年間のキャリアを経て最初の転職を考えたきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

藤田さん:

最初の転職をしたのは29歳の時でした。
僕は、新卒の時に「ひとりでも多くの人を笑顔にする」というビジョンをエントリーシートに書いて就職活動をしていたんです。そして入社をしたタカラトミーで6年のキャリアを積んでいくうちに、この「多くの」という所に引っ掛かりを覚えるようになっていったんです。そもそも少子化が進んでいる以上は市場が減っていくということになります。その減りゆく市場のなかで「多くの」人を幸せにするというビジョンとの矛盾を感じ始めて転職を決意しました。

”進化の本質は変化” 大手企業からベンチャーへ

藤田さん:

そして、2社目の株式会社Speeeに入社をしたのですが、実は最初はSpeeeのこともよく知らなかったんです。エージェントの方にSpeeeを紹介されたときに、「ここはとても良い会社なんですよ、でも受からないと思います。」って言われて、「受からない会社?なら受けてみようじゃないか。」って火が着いたのが応募のきっかけでした。

千葉:

まさか最初のキャリアチェンジを果たした会社への応募のきっかけが、受からないって言うなら受けてやろうじゃないか!という負けん気だったとは想像すらできませんでした(笑)

藤田さん:

実際に受けたら書類を通過し、1次、2次面接も通過。そして、3次面接で人生を変えるような衝撃を受けた出会いがあったんです。代表取締役の大塚 英樹さんとの出会いでした意思決定のスピードの速さや粒度に圧倒されて、この人と仕事をしてみたいと強く思ったんです。ビデオの録画すらできないのに、その思いだけでベンチャーの情報通信業への入社を決めたんです。

千葉:

大手有名企業からベンチャーへ転職することに対するためらいや恐れはありましたか?

藤田さん:

それに関しては僕は無かったですね。どうにかなるでしょ!という感覚が非常に強かったんですよ。鈍感力を発揮するということなのかもしれません。当時、Speeeの大塚英樹さんに「進化の本質は変化だ。」と言われたことがあって、僕はこの言葉が本当に素晴らしいなと思ったんです。動かないこと、止まることの方がリスクなんだって、僕自身も思ったんです。

千葉:

「進化の本質は変化」素晴らしい名言ですね!それでは、Speee時代の業務なども詳しく教えてください。

IT用語も解らず、カルチャーにも馴染めずに苦悩の連続だった入社当初

藤田さん:

Speeeは当時70名規模の会社で、SEOコンサルティング業務がメインの会社でした。その中で僕はアカウントという部門に在籍し、受注後の顧客に対して分析結果の報告と期待値調整をしながら営業をし継続・アップセルをKPIにおきながら、新規の顧客へも営業し受注してくる業務を3年間担当していました。なんとかなるでしょ!という勢いで入社をした僕ですが、いざ入社してみたら結構きつかったんです。まずIT用語が全くわからない。当時SEOもわからないまま入社したので(笑)社内にあった営業向けの用語集を読んでも、IPアドレスもドメインもどちらも”住所”って書いてあって、音だけが違う同じ言葉なんだと思っていたり...。もうとにかく右も左もわかりませんでした。そこで焦りを感じて専門書を読んで、ようやくインターネットの世界を理解した。そのような調子でした。

また、Speeeの営業は同じ営業でもタカラトミーとは真逆なんです。タカラトミーは買う前提の顧客に対して有形商材を提供するのに対して、Speeeは買わない前提の顧客に無形商材を提供する。同じ営業でもこんなに違うんだって驚きましたね。

千葉:

僕も人材からITヘ転職して、当時のSpeeeで働いていたのでめちゃくちゃわかります。本当に出てくる用語が解らなくて苦労しました。藤田さんも入るなり早々カルチャーショックの連続だったんですね。

藤田さん:

まさにそうです。カルチャーといえば会社の文化そのものにも衝撃を受けました。例えな、何かわからないことがあって、年下のデータ分析担当の子に「ちょっとこれ解らないから、別の席に行ってじっくり教えてくれない?」って言ったら、「移動する意味ってあります?」って言われて(笑)僕の中ではじっくり話すためには席の横で立ち話的に話すのではなくてどこか場所を確保して話すということが当たり前の感覚だったんですが、彼らからするとそれが無駄という位置付けだったり。
今では違いますが、当時は「20時からミーティングします」というのもざらにあったり、皆いつ帰るんだろうっていう時間に働いていることも当たり前だったので、こういうカルチャーショック的なことはたくさんありました。

このような調子だったので、入社当初は本当に全然仕事でも活躍できませんでした。大切な案件を失ってしまったりしたこともあります。営業というのは、提供しているサービスに対して本当は満足していただけていない部分もあるのではないか?という視点を持つことが大事だと思います。でも、当時の僕は「まあ、満足してもらえるだろう。」って、たかを括っている視点でいたので大切なことを見落とすことも多くて。本当に実力不足で何度ももうダメだ、やめようと思いました。でも、ある時を境に大きな気づきがあったんです。

失っていた「自分らしさ」を取り戻したことでようやく成果が出せるように

千葉:

どのような気づきだったのでしょうか?

藤田さん:

Speeeに入ってからの僕は、誰かのやり方に合わせていたんだということに気がついたんです。僕はこの業界を知らないからって、自分らしさを一切出さずに迎合していたんです。それまでの6年間のキャリアで培った良い意味での自分らしさを全て捨てて否定しちゃっていたんです。
そこで、完全に自信をなくしていた僕に対して、尊敬する先輩や上司が、「藤田くんはいつもおもちゃ会社の話をとても面白く話してくれるじゃん。それを今の営業でもやればいいと思うよ。」って言われたり、「藤田さんらしくやってみて、着いてこないクライアントさんならもういいじゃないですか。逆に着いてきてくれるクライアントさんから紹介してもらいましょうよ。」って言ってもらえたことから自分らしさを発揮していくという方向にシフトチェンジしていくことができたんです。このころから徐々に成果がようやく出せるようになっていきましたね。

千葉:

自分らしさを失っていた。これは大きな気づきですね。仕事やキャリアで壁に直面している時ほど自分らしさを活かすということを思い出すということがヒントになる方も多いのではないでしょうか。
さて、ここからは同じSpeee社で立ち上がった新規事業、UZOUのお話を聞かせていただければと思います。藤田さんはどのようにして営業からUZOUの立ち上げに関わるようになっていかれたのでしょうか?

「これはこいつらだけじゃ無理だ!」本気の想いで自ら飛び込んだ新規事業プロジェクト

藤田さん:

当時のSpeeeでは、僕が関わっていたSEOの事業のほか、広告運用のDSP(Demand-Side Platformの略で、広告主の広告効果最適化を目指すプラットフォーム)の事業が立ち上がっていました。そして、第3の事業として立ち上がったのが、メディアと広告とユーザーの繋がりをより身近なものにするネイティブアド配信のUZOUでした。UZOUは、起案のタイミングで各部署のエース級の人たちがアサインされ考案されたビジネスでした。僕はアサインメンバーではなかったので外からビジネスモデルを聞いた時に、「これはこいつらだけじゃ無理だ!」って本気で思ったんです。なぜかと言うと、当時のUZOUの事業責任者は25歳のめちゃくちゃ優秀な人材だったのですが、アドネットーワーク(複数の広告媒体(Webサイトやソーシャルメディア、ブログ等)を集めて広告配信ネットワー)って、ある程度の社会経験が必要な大人のビジネスなんですよ。メディアをどう押さえるかということが重要で、そのためにはメディアの方々とビジネスや文化の話を含めて営業をしていく必要があり、それができないと絶対に事業がスケールしないと思ったんです。だから、25歳の事業責任者の彼が営業をすると聞いた時に、彼の優秀さは別の場所で活かした方がいいって、当時の上司に絵を描いてプレゼンして、僕がやりますって言って手を挙げたんです。

千葉:

自ら手を挙げて新規事業にジョインされたんですね。すごい熱量です。SEOの営業から新規事業の立ち上げとなると、同じ社内にいても全く異なる大きなキャリアチェンジを果たしたことになると思いますが、この新規事業で藤田さんが得られたものはどのようなものでしたか?

藤田さん:

これは後ほどお話する3社目のキャリアで事業を立ち上げた経験があったから言えることなのですが、事業を立ち上げるには文化を創り、資金を集めるといった表には見えない部分にリソースを取られて事業に向き合う時間というのは思った以上に少ないんです。
それまでの僕は、UZOUの立ち上げは自分たちプレイヤーの力で成功をしたと思っていました。でも、実際はそれだけではない。プレイヤーだけではなくて、代表の大塚さんや役員の方々など、先人たちがリソースを割いて創り上げてきた土台があってこその成功だったんです。当時、新規事業の立ち上げということで学ばせていただいたこともたくさんありますが、振り返ってこのことに気がつけたというのも僕の中の大きな学びです。

さらなる高みを目指し、2度目のキャリアチェンジへ

千葉:

ありがとうございます、Speee時代はまさに藤田さんにとって大きな成長の連続だったのですね。では、Speeeで実績も実力も積み上げていった藤田さんがなぜ2回目のキャリアチェンジを考えたのかを教えてください。

藤田さん:

Speeeでの経験は本当に素晴らしいものでした。特に後半では自分の実力をつけるために代表の大塚さんから課題図書を出していただいて、3日間で読んでレポートを提出する稽古をつけて頂いたりして、とても集中できたし、事業も伸びていって素晴らしい経験をさせていただいていました。周囲も僕にさらなる成長を期待してくれていたとは思うのですが、次第に「これで良いのかな...。」と思うようになっていったんです。

事業もこれからさらに高みを目指して行こうという時でしたし、社内の知らないメンバーから「あの藤田さんですね。」と一目置かれるような環境もありましたが、この状況に甘んじていて良いのかという葛藤が生まれ始めたんです。この事業で高みを目指すという道の他に、もっと違うことをゼロからドラスティックにやるという道もあるのではないかと考え始めたんです。そんなことを悶々と考えていたときに、大学時代の尊敬する友人からファンタジー・スポーツ事業の立ち上げを一緒にやらないか、と声をかけていただいたのが2回目のキャリアチェンジのきっかけでした。38歳の時ですね。
「ひとりでも多くの人を笑顔にする」の「多くの」の部分をSpeeeで経験させていただいたので、さらに多くの人を笑顔にするプラットフォームというか、仕組みを作るということにチャレンジをしたいと思ったんです。

千葉:

成長真っ只中のSpeeeで実力をつけて周囲からの期待もある中、未知のチャレンジに飛び込む勇気は相当なものだったと思います。僕が事業で応援したい世代でもある30代後半で40代がすぐそこにある年齢での転職って一般的に不安も伴うし、家族との折り合いも難しいじゃないですか。藤田さんもそのことはご結婚されてお子さんもいらっしゃったので、ご家族の反応はいかがでしたか?

藤田さん:

僕の場合は「転職するね。いつから働くから。」で終わりでした(笑)妻からの反対も全くありませんでしたね。家族からは何も言われませんでしたが、同じSpeeeや同世代の仲間からは言われましたね。「この年齢で今更よくやるよね。」って。まあ、普通そうだよなとは思いましたけど、一般論よりも自分のなかにある挑戦したいという衝動の方がはるかに大きかったんです。変化をしないことの方が僕にとっては怖いことなんです。

千葉:

さらなるチャレンジのために自らの衝動に素直に従う。これも同世代でキャリアチェンジを考えている方への応援メッセージになりますね。
それでは、3社目となる次のベンチャーでのキャリアについてお話しください。

10から100の成長フェーズとゼロイチフェーズの違いを痛感

藤田さん:

はい。ここのベンチャーで僕はCMO(チーフ・マーケティング・オフィサー)を勤めさせていただきました。CMOとはいえ、僕が1人目の社員だったということもあり、営業から入力作業まで、落ちてくるボールを全部拾っていくような日々を過ごしていました。僕は1年ほどでこの会社を離れる決意をしたのですが、この期間、全然パフォーマンスを発揮できなかったんです。それはなぜかと言うと僕の能力が至らない部分もありましたし、ゼロイチのフェーズだと僕のポテンシャルや能力があまり活かせなくて得意ではないんだということを痛感しました。
僕は、組織や文化づくり、事業を10から100に成長させることは得意なのですが、それよりも前のフェーズにある朝令暮改を繰り返してゼロを1に変えていく力は本当に無いなと思っていて。この頃は毎日自分でもステレオタイプのような、当たり前の事を言っているなと感じていてこのまま僕がいても皆に申し訳ないと思うことが増えていきましたし、いただいている給料分のパフォーマンスが発揮できていないと感じていました。そのように考えるようになってから自分が弱くなっていき辛くなってしまって、社長に「これでは申し訳ない。離れさせてください」とお話して離れる決意をしたんです。

千葉:

ここにもまた大きな学びがあるのですが、大きく環境を変えることにも勇気が必要ですが、それとはまた別でそれまでの活躍を重ねる人生から反転したように自分の弱い部分に向き合うことってとても勇気が要ることだと思いますが、この辺りはいかがでしょうか?

藤田さん:

僕は、そもそも自分はそんなに強い人間ではないし、誰しもがそうなのではないか、それを皆で認め合えばいいんじゃないかなって子どもの頃から思っていたんです。だから、弱い部分に絶対向き合いたくないというハードルのようなものは無いんです。皆十人十色で、時計理論でいう長針、短針、文字盤、ベルトなど、人にはそれぞれ役割があると思っています。能力が高い人でも弱い部分はあるし、その自分が活かせる場所をうまく見つければ良いと思っています。
確かに、自分の弱さに向き合うという作業そのものは一人では怖いと思う側面もあり、辛い作業ではありますが、僕の場合は周囲の仲間と話すことによって少しずつ向き合いながら自分という人間を活かす環境を整えていくという、ひとりで戦うというよりは仲間と共に創り上げていくという感覚でいます。

千葉:

なるほど、人の口や頭を借りながら改めて自分を整理していくということですね。
それでは、最後に今のキャリアであるALPHABOATに至るストーリーをお聞かせください。

組織が持続可能な状態を創り上げていく。実践とチャレンジに溢れた充実の今

現在所属をしているSCデジタルメディア株式会社には、知人のヘッドハンターの方を通じて採用をしていただきました。SCデジタルメディア株式会社は、コンテンツの「制作」からSNS・WEBアドを活用した「運用・最適化」「拡散」までを一気通貫で企画、伴走し、実現する代理店です。住友商事の100%子会社なので住友商事からの出向メンバーもいたり、170社ほどある住友商事のグループ会社が抱える課題解決のためのDX・CX支援も行っています。タカラトミーという大企業とSpeeeというベンチャーの2社を経験してきた僕にとって、SCデジタルメディア株式会社で大企業とベンチャーのふたつの気質を掛け算することでパフォーマンスができるということがとても面白く、やりがいを感じています。

ベンチャーにはゼロイチから30、100、300などさまざまなフェーズがありますが僕は、今の会社までの3社のキャリアでそれぞれのフェーズにおける失敗はだいたい経験してきたと思っています。その中で、自分が信じてやってきたことと不得意なことを経験を通じて学んできたので、不得意なものは不得意だけど理解だけはしておこうというSpeee時代の経験などもひとつひとつ織り交ぜながら進んでいます。

何より、今の会社にフィットをしているなと感じるポイントとして、僕が一番興味のある組織のコアとなる部分に関わらせてもらっていることです。
よく「人は大事」、「人的資本」というキーワードが世の中に飛び交っていますが、人の特性や育て方、人がどういうグロースをしてくことによってどのように事業にレバレッジが効いてくるのかなど、人に対してリスペクトをしながら実装をしてPDCAを回していかに組織が持続可能な状態を作っていくのかということに僕は興味があるんです。今はその一番興味があることを実践しながらチャレンジできていることが僕の日々の充実と成長につながっています。

千葉:

大手からベンチャーの成長フェーズ、そしてゼロイチの立ち上げフェーズ。全ての経験がまさに今輝いている状態なのですね。一般的に強みやスキルを押し出すことにフォーカスが行きがちですが、藤田さんのお話から、成功だけではなく、失敗した経験や弱みから自分の特性をメタ認知していくということの大切さを学びました。
これからのご活躍も楽しみです!藤田さん、ヒントに溢れるキャリアストーリーありがとうございました。

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